「会社をやめた同期が独立してオフィスを構えててさ、そこで新年会をするっていうから、あなたも来なさいよ」と誘われ、ミドリはお正月早々に千駄ヶ谷駅へと急いだ。

社員食堂で思いきって声をかけてからというもの、先輩であるカオリは、部署は違ってもなにかと気にかけてくれて、こうやってプライベートのイベントにも誘ってくれる。千駄ヶ谷駅から少し歩いたところにあるビルが目的地。シェアオフィスだった。

「シェアオフィスって、おしゃれになったよね」とカオリ。入居者は誰でも共同で使えるという広いスペースが今日の会場だ。

見渡すところ、十数名。気楽にどうぞ、というスタイルらしく、自己紹介の時間も乾杯の挨拶もない。一見、何をやっているかわからない人たちがしゃべったり輪になったり笑ったりお酒を飲んだりしている。

「ケイゴ、久しぶり! 彼女、この間、うちの会社に転職してきたミドリちゃん。ほら、私たちがまだ新人のころに1年間かけてやったプロジェクトあったでしょ。あのときの学生アルバイトやってくれてた子なんだ」

紹介された男性を見あげた。

「へえ。僕もあのプロジェクトにかかわってたんですよ。転職してきたんだね。ようこそうちの会社へ。って、僕、もうやめちゃってたんだった」

隣でやわらかいほほえみを浮かべる女性がいた。

「ミドリは、ミサキに会うのも初めてだよね。彼女はあなたの先輩、そしてケイゴのパートナーだよ。私の隣の部署にいるの。私とは違って、もっと難しそうな仕事してるんだけど、その道のベテラン。すごく頼りにしてるの」

「あら、うれしい。ミドリさんも、困ったことがあったらいつでも相談しにきてね」

「はじめまして......」と挨拶をするミドリを引っ張るようにして、カオリが次の人のところへ移動する。どうやら、ここにいる人すべてに紹介してくれるつもりらしい。

姉御肌の先輩らしい、と、思う。いつだって、パワフルだ。私もこんな風になれたらいいな。

一通り紹介し終わると、カオリはぐいとビールをあおる。「先輩、まず何か食べてから......」というミドリの言うことに耳を貸さない。そう、こうやって、いつだってマイペースなのだ。

そういうところが、好きなのだ。この人には、いつも自分のやりたいことが見えていて、まっすぐにそこに進んで行っているように見える。

女の子はこうあるべしという厳格な父親と、完璧な専業主婦である母親、そしてそのクローンのような姉。学校では優秀な成績を取りながらも、良い嫁ぎ先を見つけることだけに費やしたかのような姉の学生時代と、いわゆる腰掛け就職に、どうしても疑問がぬぐえなかった。

秘密にしてはじめた学生時代のアルバイトが家族に知れたとき、こっぴどく叱られた。嫁入り前の娘がなんてことするんだ。いますぐやめなさい。

テレビ番組の制作アルバイトの、何が悪いのだ。ミドリはそう開き直り、最後まで続けた。しかし、卒業後、親の望む就職先に行くしかないという重い結果が待っていた。

それから数年間をやり過ごし、こっそり転職試験を受け、会社に辞表を出し、家族に宣言した。「これから私は私の選んだ道を行きます」と。それが、半年前。ようやく私は自分自身になれたんだ、と思った。同時に底知れぬ不安もあった。

私はこれから、やっていけるんだろうか。

「ここさ、屋上があるんだ。行ってみない?」

カオリにそう言われ、ついて行くことにした。暮れかかった空気が冷たいけれど、人が少ない東京の空気は、凜と澄んでいるように感じる。

「昔さ、何かもやもやしたら、新宿の高層ビルにのぼって下を見おろして、自分はいまここにいるんだ! ここまでやってきたんだ! って心の中で叫ぶんだ、っていうバカなやつがいてね」

と、カオリが話しはじめる。

「そのころはさ、高層ビルっていったら新宿だったんだよ。いまだったら六本木にも汐留にも、虎ノ門にだってあるのにね。新宿なんて、ダサいよねえ」

ミドリは、きっとそれはカオリ自身のことなんだろうな、と思う。一直線に思うがまま生きてきたように見える先輩に、そんなときがあったなんて。

ふたりの視線の先には、携帯電話の会社のビルが見える。先端部分はアンテナだというこのビルは、どう見てもシルエットがニューヨークのエンパイア・ステート・ビルだ。

「なんか、あのビルを見ると、ちょっとマンハッタンにいる気になりますよねえ。もっと都会でも、私たちみたいにもやもやしている女性が、たくさんいるのかもしれないですね。『SEX AND THE CITY』みたいに」と言ってみた。

カオリはしばらく黙っている。......気を悪くしたのだろうか。

「ミドリ、なんか私、叫んでみたくなった」と、カオリが言う。

「叫んでみますか!」

「お、だんだんノリがよくなってきたじゃん。じゃあ、今年の抱負を一緒に思いっきり叫んでみよう。考えた? せーの」

「自分らしくがんばって飛躍するぞーー!!」

ミドリは、あまりにも紋切り型でイケていない自分の宣言に笑い転げた。カオリも顔をくしゃくしゃにして笑っている。

そうだ、カッコ悪くたっていいんだ。先輩だってきっと、そんな日々を過ごしてきたからこそ、いまがあるんだもの。

「ミドリ、ずいぶん野暮ったいこと叫んでたねえ」

「カオリ先輩は、なんて言ったんですか?」

「教えなーい」

「えー、ずるい!」

ふたりの笑い声が、キンと済んだ空に溶けていった。

今月の季語

【淑気】新春のめでたく荘厳な気配が、天地の間にみなぎっている様子。また、その気分。