いちから手掛けたプロジェクトには、どうしたって愛着がわくものです。ましてや、手ずから育てあげた企業ともなると、簡単には他人に任せられないのが人情に思えます。

ところが、手塩にかけた企業を後続する人材に託し、40代半ばにして、新たな地平線を目指す決心をした女性がいます。

その人の名は小島幸子さん。彼女が生んだ企業はカンボジア・シェムリアップの『Angkor Cookies Corporation Co., LTD 』(アンコールクッキー会社)。そうして、いま見つめる地平線は、農業のその先にあります。なんともユニークに思えるその転身について知りたく、インタビューに赴きました。

アジアの活気に魅せられて

約束の場所に現れた幸子さんは、黒一色のシンプルな上下に、大ぶりの銀のアクセサリ。ブレスレットのブルーが涼やかに映える出で立ちで、颯爽という形容がじつに似合います。

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話が盛り上がり、予定より長くなったインタビュー。常に柔らかな笑顔で、姿勢よく、落ち着いた声音の受け答えは、むしろ控えめでさえあるのに、どこか毅然としたオーラを身にまとった女性でもあります。

子供のころから、万事に積極的だったという幸子さん。本人は「仕切り屋だったんですよ」と言いますが、クラス委員やバスケットボール部キャプテンを務めたと聞けば、人望も相当あったものと想像できます。

とはいえ、人生に目標が見えるまでは、その強いリーダーシップを発揮する機会もなかなか訪れず、悶々とする日々もありました。大学の授業も面白いと思えず、退学を考えたことすらあったといいます。

そんなとき、中国を旅してアジアの活気に触れ、この活気のなかで働きたいと願うようになりました。そのため、大学を一年休学し、日本語教師の資格を取得。卒業後も就職はせず、アルバイト生活に入ります。その間、JICA(ジャイカ)の青年海外協力隊などに何度も応募しますが、いずれも採用されることがなかったそうです。

「もしかしたら協調性がないって見抜かれたのかもしれません」なんて、いまでこそ笑って話せるものの、「当時は、かなり落ち込みました」と、幸子さんは言います。でもだからこそ、挫折への耐性もつきました。

「もし受かっていたら、いまカンボジアにはいなかったでしょうしね。あとからだからわかることですが、これしかないってそのとき思ったことが、必ずしもベストとは限らないんですよね」(小島さん)

与えられたことをこなすことで見えてきた次のステップ

そんなとき、カンボジア・シェムリアップに旅行社が開いた日本語教育センターの教師募集を知り、応募します。

1999年のことでした。ポルポト派が完全消滅したばかりの時期で、当然、町も国も、ないもの尽くしだった時代です。20代の女性に、2年の任期が耐えられるのだろうかと危ぶんだ同社の提案で、まずは1年旅行ガイドとして住むことになりました。

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シェムリアップは、9世紀から13世紀にかけて栄えたクメール王朝アンコール遺跡巡りの拠点となる町です。1992年に世界遺産に登録されたアンコール遺跡は、すでにカンボジア随一の観光地でした。右も左も分からない土地ではじめたガイドの仕事ですが、非常に面白く、有意義だったと、幸子さんは振り返ります。

「すぐ教師採用になっていれば、生徒としか顔を合わさない2年だったでしょうから。1年ガイドをしたおかげで、現地の人ともコンタクトができましたし、日本にいれば会うこともなかったような日本の方とも知り合えました。(このときの経験から)与えられたことは、きちんとやるべきだな、って思いましたね」(小島さん)

カンボジア人のおおらかさ、優しさ、無邪気さに感動することも多くありました。無事1年のガイド生活をクリアしたあとは、2年契約の日本語教師として働きだした幸子さん。学生は、試験をパスした地方出身者約10名で、奨学金を得てシェムリアップの寮に入ります。文字通り朝から晩までともに過ごす、濃い2年の付き合いでした。

みな優秀でしたが、職の少なかった当時のこと、どんなに努力しても仕事が得られるかどうかと、憂える生徒も多くいました。そういう声を聞くにつけ、彼らに必要なのは、なによりも適正な賃金の得られる仕事だと考えるようになったそうです。

2年の教師契約を終えたとき、30代に入っていた幸子さん。いったん帰国し、これからどう生きるかを熟考しました。その結果、ついにカンボジアへの思いとチャレンジ精神が勝り、みずから起業し、雇用つくりに貢献する決心に至ります。その当座の目標は、カンボジアの材料でカンボジア人の手による純カンボジア製の土産品を作ること

じつはこれは、ガイド時代の経験から生まれたアイディアでもあります。というのも、カンボジアに定番土産がないばかりに、観光客の多くが隣国空港でお菓子やチョコレートを調達すると聞き、それを常々残念に思っていたからです。

アンコールクッキーの起業と成功

なけなしの5000ドルを手に、再びカンボジアへ戻ったのは2003年8月のことでした。中古のオーブンを買い、それからはクッキーの試作に励む毎日。ようやく3か月後、満足できるレシピにたどり着きます。

「昔のことって、すぐ忘れちゃうんですよね」の一言で、苦労話は一切しようとしない幸子さんですが、流通機構どころか、公道のようなインフラストラクチャーも整っていなかった国のこと。材料ひとつの調達も容易ではなかったはずです。

手づくりアンコールクッキーショップをオープンしたのは、2004年4月のこと。当初のスタッフは彼女を入れて3人。滑り出しは残念ながら順風満帆とはいえず、幸子さんが遺跡修復チームの事務アルバイトを掛けもち、なんとかしのいだ時期もあったそうです。

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それでも売込みの努力に、観光客の増加も手伝って、クッキー事業は大きく発展し、いまではカンボジア土産の代名詞になるほど、アンコールクッキーの知名度は上がりました。

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喫茶部の展開、日本への輸出など事業も拡大し、スタッフもいまでは90人を数えます。社内の厚生も進んでおり、たとえば、スタッフ向けに、無料の英語レッスンやパソコン教室を実施。産休、育休制度も取り入れており、社内には託児所も備わっています。

また感心したのは、早くからCSR(企業の社会的責任)に力を入れていること。カンボジア赤十字への寄付や、学校施設修理の援助、洪水被害者への米の配給など、じつに多くの活動を行っています。

手塩にかけて育てた企業を他人に託す理由

アパートの一室でクッキーを焼き続けたころから数えれば、すでに13年。手塩にかけ育てあげたこのアンコールクッキー社を、幸子さんが新経営陣に託したのは、つい最近、2016年6月1日のことです。

その理由を記した彼女のブログの言葉は、謙虚であるとともに、視野の広さをも感じさせるものです。

そんな宝物の経営をほかの人に託したのはいくつか理由があるけれど、一番大きいのは、私一人で経営していると私の器以上に会社が成長しないということを痛感したから。

アンコールクッキーから農業に転身した『マダムサチコ』のカンボジア日記から引用

一方この13年で、シェムリアップを取り巻く状況も随分変わりました。

現在アンコールワットを訪れる観光客数は年間200万人以上。シェムリアップ人口の軽く10倍にあたります。必然、ホテルやレストランの施設も増え、町で働く場所に困ることはまずなくなりました。

けれども、それはあくまで都市部でのこと。農村部では、都市部のような変化がないにもかかわらず、物価だけが上がり、以前にもまして苦しい生活を送る人が少なくありません。この格差をどうにかできないものか。

思案の末、幸子さんがたどり着いたのは、農業の6次産業化です。つまり、作物をつくって売るという第1次産業に留まらず、作物の加工も行い(第2次)、集客できる農場リゾート施設(第3次)を作ることで、1+2+3 = 6次産業化を目指すわけです。

すべてはつながる一本の道

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大きな目標を胸に、2014年には、シェムリアップ近郊のスヴァイチェイク村に40ヘクタールの土地を購入。農地とは名ばかりの、人の手の入っていない土地ですから、まずは道を拓き、開墾から始める必要がありました。

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労働力は村民から確保し、村名でもあるマンゴー(スヴァイ)とバナナ(チェイク)の木が最初に植えられたのは7月のこと。翌2015年3月には、立派なオフィス棟も落成しました。

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田舎の赤土の道を長々と揺られた先に広がるアンコール・スヴァイチェイク・ファーム。そこに建つこの近代的な建物は、カンボジア人でない私にでさえ、別世界の輝きを放つように見えます。これを見る村民たちの驚きはいかほどでしょうか。ファームを案内してくれたスタッフのソチアさんに、疑問をぶつけると、にこにこと「いえいえ、みんなも知っていますから」と返ってきました。

よくよく聞けば、オフィス竣工の際には、村民全員を招待して、食事を振る舞い、ともに祝ったのだそうです。「ファームのプロジェクトは、村の皆とともにつくっていくもの」というメッセージのなんと素晴らしい伝え方かと、感心しました。

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ファームのオフィスビル落成祝いに集まったスヴァイチェイク村の村民全員と!

2015年9月新たに立ち上げた企業のメンバーは幸子さんを入れて13人。ファームではいま、天候や肥料、耕作法などの組み合わせを変えながら、果物や野菜の栽培試験を行っています。カンボジアではまだ珍しい完全無農薬栽培を目指していることもあり、試行錯誤の毎日だそうです。

それでも、すでに植えられた主な果樹は、マンゴー3000本、バナナ3000本、パイナップル1万本、ライム100本。成長して収穫が安定するころには、加工工場を併設する計画です。また、年間30品目収穫を目指すオーガニック野菜は、将来ビジター向けのファーム・レストランの食材となる予定です。

土地も広大なら計画も広大で、ゆくゆくは、ボートやカヤック、サイクリング、キャンプなども楽しめるファーム・リゾートを目指しています。

農業の6次産業化により、農民が潤い、農業が魅力的な産業となって、若い世代の農村離れを食い止められればと考える幸子さん。

ブログの言葉を引けば、

農業を続けながら、家族と離れ離れになることなく生まれた村で暮らしながら、安定した現金収入を得られ、子供たちは教育を受けることができる

アンコールクッキーから農業に転身した『マダムサチコ』のカンボジア日記から引用

目指すのは、そういう社会づくりです。

日本語教師、クッキー会社、農業。そこだけ聞くと関連がないように思えますが、話を聞くうち、すべてはつながる一本の道なのだということが、私にも見えてきました。

「30代、頑張ってきたクッキーは、いま思えば、基礎づくりだったんですよね。あのすべての経験が糧になって、ようやく土台ができたんだと思います」(小島さん)

ファームで2度目に会った幸子さんは、1度目よりさらにリラックスした表情で、いまの心境を語ってくれました。

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「その土台の上に、これから社会づくり、村づくりをしていきます。それが、私の人生づくりでもあると思っています」(小島さん)

静かに気負いなく、そう結んだ幸子さんの顔は、自分の信念に従って進める幸せに満ちているようにも見えました。

ファームの朝の空気のなかで終えたインタビュー。清々しい気持ちになるとともに、なぜだか私のなかにもふつふつとエネルギーがこみ上げてくるような心持がしました。やはり、正のエネルギーは正のエネルギーを呼び覚ますのでしょうか。

スヴァイチェイク村ファームリゾート、オープンの暁には、必ず再訪したい場所です。

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