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ビューティ 欲しいのは私らしい「キレイ」!働く女子のビューティ情報

更新日:2006年4月16日 RSS

  さらに進化した最新テクノロジーを引っさげ、ますます白熱する美白事情。感動ものの美白コスメが今年も大豊作! そのほか、美白のルーツからなんちゃって白肌テクまで、あらゆる角度で美白という永遠の美のテーマにアプローチしました。 カタログ編
vol.1 なぜ好き? いつから好き? ホントに好き? ニッポン「美白」ヒストリーを追え!
 
平安時代の美肌は貴族だけの特権?

 日本で初めて編纂された医学全集『医心方(いしんほう)』には、「肌の色をよくする方法」という表現が出ている。平安時代の、「肌」の美白についての記述としてはおそらく日本最古のものだという。しかし「これは一部の貴族しか見ることができない文献で、庶民に“美肌”という概念があったかどうかは不明確です」とポーラ文化研究所、津田紀代さんは言う。
 また、『紫式部日記』にも、美人の条件は「うつくしげにつぶつぶとこえたる」 「うはべは、いとそびやかに、髪たけに三寸ばかりあまりたる」、「額つきなどぞ、色のあはひ白きなど」、「いとふくらけさ過ぎて肥えたる人の、色いと白くにほいて顔ぞいとこまかによしばめる」など、白肌、艶、きめなどが挙げられている。

教えてくださったのは、ポーラ文化研究所・学芸主任の津田紀代さん。

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『都風俗化粧伝』には、「顔の色を白うし、艶をいだし、肌を細かくし、美人とする薬の法」として美白法が紹介されている。巻頭で扱われるほど、興味のネタであったことがわかる。

 鎌倉・室町は戦国の世となったせいか、肌や美容に関する文献がばったりと減る。日本人が“美肌”を追求する余裕を取り戻したのは江戸時代。今から思えば、これが第1次美肌&美白ブームだったというわけ。江戸後期、1813年に出版され、明治頃まで再版されたベストセラー『都風俗化粧伝(みやこふうぞくけわいでん)』には、全3巻の巻頭の「顔面の部」に「顔の色を白うし、艶をいだし、肌を細かくし、美人とする薬の法」として、おしろいを溶き、パックのように塗って翌日洗い流すなど、10種類以上もの美白法が“美肌法”として掲載されている。「美肌=美白と当事の人々は思っていた様です。きめ細やかで艶のある肌が、白肌というひと言で表現されていました」


江戸の美白ブームは歌舞伎役者がけん引役

 江戸時代のおしろいは、色を白くみせる化粧料として、また美白パックにも混ぜて盛んに使われた。そのおしろいは、人体に害がある鉛の入った粉。でも肌にぴたっと密着するので、たいへんな人気であった。プロ仕様のイメージが強い当時の歌舞伎役者の名前を冠したおしろいなどがよく売れていたが、毎日の化粧で健康を害し、短命に終わる役者や庶民も少なくなかったようだ。昔の美白は命がけだったのである。

 当時のおしろいは白一色。それに紅を混ぜるなどして色調調整を自分で行っていたが、明治以降、欧米から黄色や肌色のおしろいが輸入され、カルチャーショックを受けて日本人女性のファンデーション観は大きく変化したとか。パリ万博から帰国した川上貞奴が記した『欧米化粧談義』には、いろいろな種類のおしろいを肌にあわせて選ぶ外国人女性の様子がレポートされた。
「塗りこめる、隠す化粧から、自分の肌色にあった色を塗る、という化粧に変化。明治維新で眉毛をそる、お歯黒を塗るなどの古風な慣習は廃れ、個性を生かす化粧へと変化しました」(津田さん)
明治以降、「日焦け」という表現で、日焼け対策という意識が芽生えた。日に焼けた後の手当てはもちろん、日焼けを予防する方法も熱心に研究され始めた。

 1960、70年代ころ、小麦色の肌がもてはやされた時期もあったが、昔から一貫して、美肌=美白、という観念は日本人の中に根強くあったようだ。現在では遺伝子美白、というナノテクノロジー的な分野まで研究が進んでいる美白。
「今後は、真っ白であればよいというのではなく、日本人らしい白肌・美肌の追求へ進んでいくと思います」(津田さん)
というわけで、かなり古くからのつきあいがあった日本人と美白、そりゃ熱中するのも仕方がないのかも。

江戸時代の化粧品は小間物屋などで売り買いされていたおしろいが主。中でも人気だったのは「美艶仙女香(びえんせんじょこう)」という商品。当時流行りの浮世絵にさりげなく商品名を入れるなど、広報宣伝活動も活発だったようだ。歌舞伎役者の名前のおしろいも、数多く発売されていた。
photos / Cafeglobe
text / Kanai Yukiko
design / Kadoike Mika