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江戸時代のおしろいは、色を白くみせる化粧料として、また美白パックにも混ぜて盛んに使われた。そのおしろいは、人体に害がある鉛の入った粉。でも肌にぴたっと密着するので、たいへんな人気であった。プロ仕様のイメージが強い当時の歌舞伎役者の名前を冠したおしろいなどがよく売れていたが、毎日の化粧で健康を害し、短命に終わる役者や庶民も少なくなかったようだ。昔の美白は命がけだったのである。
当時のおしろいは白一色。それに紅を混ぜるなどして色調調整を自分で行っていたが、明治以降、欧米から黄色や肌色のおしろいが輸入され、カルチャーショックを受けて日本人女性のファンデーション観は大きく変化したとか。パリ万博から帰国した川上貞奴が記した『欧米化粧談義』には、いろいろな種類のおしろいを肌にあわせて選ぶ外国人女性の様子がレポートされた。
「塗りこめる、隠す化粧から、自分の肌色にあった色を塗る、という化粧に変化。明治維新で眉毛をそる、お歯黒を塗るなどの古風な慣習は廃れ、個性を生かす化粧へと変化しました」(津田さん)
明治以降、「日焦け」という表現で、日焼け対策という意識が芽生えた。日に焼けた後の手当てはもちろん、日焼けを予防する方法も熱心に研究され始めた。
1960、70年代ころ、小麦色の肌がもてはやされた時期もあったが、昔から一貫して、美肌=美白、という観念は日本人の中に根強くあったようだ。現在では遺伝子美白、というナノテクノロジー的な分野まで研究が進んでいる美白。
「今後は、真っ白であればよいというのではなく、日本人らしい白肌・美肌の追求へ進んでいくと思います」(津田さん)
というわけで、かなり古くからのつきあいがあった日本人と美白、そりゃ熱中するのも仕方がないのかも。 |