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環境は自分でつくるもの
行動力と粘り強さがカギ
「このままでは体が壊れる!」
3年前の冬、出産後2ヶ月たらずで職場に復帰することを計画した古川はづきさんは、学内の先輩女性教授のもとに駆け込んだ。「育児休暇をとらない職員に対する職務を軽減する処置を考えていただけないでしょうか」。
悩みに悩み抜いた末の行動だった。けれどもお願いは、1度伝えただけでは、叶いにくい。「何回も駆け込みましたね。そのたびに何時間もかけて状況を説明して訴えました」。
実験、研究、学生への研究指導、授業。そして子育て。どのようにバランスをとればいいか。知恵をしぼった結果、勇気ある嘆願をした。すると数回におよぶ熱心な直談判と、日ごろの古川さんの積極的な研究姿勢が、大学側を動かした。『子どもが3歳になるまでは、半期につき、1コマの授業は研究室の費用から、さらにもう1コマの授業を自費で、非常勤講師を雇ってよい』という処置が採択された。これにより古川さんが負うべきタスクが軽減され、だいぶ進みやすくなったという。
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| 学生時代は朝から晩まで、1日15時間近く研究し続けていたそう。それほど夢中だったとか。 |
「面白い!」と感じることを続けていたい
その心から開かれた研究者への道
「自分にしかできないことをやろう!」
古川さんがいつも意識していることだという。「なぜなら自分を慕ってきてくれる人の期待に応えたいから」という。そして、図らずも、この精神によって古川さんの道は切り開かれてきた。
学生時代は博士課程まで「突っ走った」。専門の「中性子散乱」について。「とにかく面白かったんですよね。原子ひとつひとつがどんな性質をもっているのかを解明していく、いち実験手段です。目に見えないものが、見えてくる不思議さとすごさにびっくりすると同時に魅了されました。あまりに面白すぎて気がついたらドクターコースにまで進んでいました(笑)」
さらにそのままのめりこむようにして、理化学研究所の特別研究員にまでなった。「とにかく『面白い!』と感じることを続けていたい。その一心で、夢中でした。当時は研究のこと以外は何も考えていませんでしたね」。
これまでの道のりを振り返りながら語る古川さんの口から、「面白くて」という言葉が幾度もくりかえされた。熱っぽく語る表情は、まるで人生そのものに恋をした少女のようだった。けれども物理学という、とりわけ女性の数が少ない世界で、勝ち残っていくことは、単に「面白いから」だけでは済まされない。
「根気と粘りですかね。周りの中に置ける自分の位置を確立することが大切だと考えました。自分よりも頭のいい人は山ほどいます。その分、私は研究内容における創意工夫と学会における発表論文件数を誰にも負けないぐらい頑張ろうと決めました。まずは、誰もが認めざるをえないようなデータを構築すること。自分が『こうだろうな』と予測した仮説に対して一方的な研究だけではいけない。多面的に展開してみせることで、『ほらね』って言えるようになるんです。次に“自分の言葉にして伝える機会”をつくっていくことですね。だから研究会や学会には積極的に参加をしてきました。小さなチャンスも逃さず、あらゆる手をつくして走り続けるんです」。
スランプは動き続けることで脱する
与えられた環境でベストを模索し続けて……
そんな古川さんだが、すべてがとんとん拍子だったわけではない。理化学研究所の特別研究員だったとき、大きな病気をした。これが原因で、次の就職を見つけるレースに出遅れた。「不安でしたね」と、当時を振り返る。そんなときに、たまたま、アメリカのオークリッジ国立研究所に出張に出かけた際、「人探しててさー」とあちらの研究者が口にしたのを決して逃さない。「私、私!私を雇ってよ!」。すぐに1年の採用契約が決まった。チャンスの前髪をつかみとった。
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| 青山学院大学でやはり同じ物理学の教授をつとめる夫とは、某研究会で知り合ったそう。「私が実験屋なのに対して、彼は理論家。『それにしては実験の世界についてわかる人だなぁ』と感じたところから、親しくなりました(笑)」。 |
その1年の猶予の間に、お茶の水女子大学の助教授の枠に空きがあることを知り、応募をした。これまでの業績や熱意ある姿勢を買われて合格。翌年の春には日本に帰国をし、助教授となった。交際してきた同業者の男性と結婚もした。31歳だった。
同じ年の秋には科学技術振興事業団のさきがけ研究員にも選ばれた。仕事は軌道にのり、忙しさに拍車がかかっていった。「食器洗い機や洗濯乾燥機。夫とは、家事を5分短縮できる家電製品は積極的に買おうねって決めたんです」と笑う。「週に1度は姉に部屋の整理を手伝ってもらっていました」。
「毎日、仕事道具を家に持ち帰る」ほどの忙しさを越えて、35歳で教授になった。これまでに自分が培ってきた知識を今度は周りの人に与える時間が増えていった。ただでさえ今、女性研究者が置かれている立場は過酷だ。自分のための研究にかけられる時間が危うくなっていた。
今からちょうど 2年前、長女を出産して育児と仕事の両立の厳しさに直面していたときには「大学から歩いて 5分のところに部屋を借りました」。短縮できるものは短縮するための方策を選び、仕事の効率をあげてきた。
しかしその後、大学が定員削減をしたため、助手を雇えなくなることに。「私の研究は、原子炉施設で1週間、はりついてデータを計測することも多く、そのほかの事前準備や実験後のデータの解析など、煩雑な作業もくさん。過酷な実験も、それまでは助手とふたりで交替しながら、一日16時間ずつ働くことで、乗り越えることができたわけだけれど……、それが今はぜんぶひとりで動かさなくてはいけない。単純に計算すると、ひとりで24時間フル営業でも追いつかないことになりますよね」。切々と語る。けれども研究者の生命線は、その研究成果。与えられた環境のなかでできるベストは何か?「自分自身の研究の対象をかえて、研究の質を上げるステージに入ったのだろうとは思っています」。
女性研究者支援プログラムの幸運に恵まれて
時間管理の大切さを実感
同時に古川さんは、可能な限りの手段をつくす人。「文部科学省科学技術振興調整費の女性研究者支援モデル育成プログラムに、お茶の水女子大学の『女性研究者に適合した雇用環境モデルの構築』事業内容が選ばれたときいて、すぐに応募しました」。
そのモデルがカバーしてくれるのは、
1.勤務時間 9時から17時の推進
2.学内保育所「いずみナーサリー」と隣接する寮「大塚宿舎」との連携による子連れ宿泊の実現
3.女性研究者をサポートするアカデミックアシスタントとリサーチフェローの投入など。
●プログラムの詳細はこちら
学内に安心してまかせることのできる保育所が整ったことで、仕事の効率は大きく上がった。「大学に着いたら娘をすぐ預けて、仕事にかかれます。帰りも、すぐ引き取ってまっすぐ家へ。帰宅するやいなや家事にかかることができます。子どもがすぐ近くにいる安心感から仕事に熱中できるようになりました」。より生産的に、今、この大切な瞬間を切り開くための手立てを求めた結果だった。
「自分でなくてもできることを、ほかの人にお願いするようにしたら、時間の使い方がドラスティックに変わりました。プログラムでつけていただいたアシスタントが研究をサポートしてくれるおかげで、今は毎日がとても充実していますね」と、満足した様子。
時間にゆとりができると心にもゆとりが。
夫への接し方が変わってふたりの絆が深まった
生産性がアップして、生きている充足感が高まることで、研究者としての精神的な安定に導かれたよう。心の余裕もでてくるため、夫婦の仲までも深まったとも!
「私自身が彼に余裕をもって接することができるようになったことが大きいでしょうね。たとえ夫が自分の意図することとは違う行動をとったとしても『とにかく感謝する!』。そういう気持ちが強くなりました。私はもともと『家事は夫婦で分担』派だし、夫も私の仕事に対して理解のあるほうでしたけれども。それでもやっぱり『私ばっかりががんばってるじゃん』と思う時期もありました。それが今はお互いの研究のリズムをみながら支えあう関係になってきましたね。『研究が佳境に入っているときなら、大学で徹夜してがんばっていいよ』って言えるようになりました。そうしたら今度は彼のほうが逆にゆとりがあると、朝、娘と私のお弁当をつくってくれたりするようにもなって。ふたりでいろいろなことをシェアして助け合うことで生まれた時間は、たとえ
5分であってもふたりでいっしょに話をする時間に充てていきたいなって思っています」。
世界でも類少ない夢を追いかけて
創意工夫を凝らす知性と「面白い!」と思う
感性にしたがって実践あるのみ
一方、このプロジェクトからの支援が終了する 1年半後を見据えて、次なる戦略を練ることも忘れない。「他人を動かすのは大変ですからね。まずは自分が動かないことには……。たとえば研究費用を調達するための外部資金に応募したり、あるいは自身のポジションを変えることだって辞さないかもしれない……でも、やっぱり優れた業績をあげることかなぁ……」。
「研究者としての死活問題をかけた」答えは、今はまだ模索中のようだ。今夢中になっている研究課題は「世界でも何組程度しか取り組んでいない、空を飛ぶことよりも難しい『超伝導体のFFLO相』を紐解くこと」だとか。「私の追いかけていることが立証されていくと、究極的には、省エネにおおいに役立つ可能性があるんです」とも。
女性研究者ならではの細やかなアプローチがものを言う日がいつか必ず来ると信じながら……。「面白い!」と反応する感性、そして「どうしたらもっとバランスよく進めるのかの創意工夫」を凝らす知性。ふたつの側面を上手く駆使して、軽やかに今という瞬間をひた走りに駆けていく。そんな古川さんの生き様にエールを送る人は、これからも決して少なくはないだろう。
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