|
サーフィンもウェブデザインも“修業”
負けず嫌いの性格がよかったのかも
青山さんの現在の仕事であるWebデザイン。もともと、きっかけを作ってくれたのは、ごく身近な従兄弟の存在だった。
「年齢の離れた従兄弟が、テレビ局で番組制作をしていたんです。話題の番組を次々に手掛ける人で、業界やWebの話を聞いているうちに、だんだん興味が出てきて。モノを作って世に送り出す仕事っていいなと思いましたね」
東京で最先端のクリエイティブな仕事をする従兄弟。その姿は、青森というのどかな土地で中学高校とひたすらバスケ部の練習に打ちこむ青春を送っていた青山さんにとって、新鮮に映った。仙台のデザイン専門学校に進学し、グラフィックデザイン、Webデザインを2年間学んだ。
就職のとき、さらに従兄弟がキッカケをくれた。Webデザイン業務も行っている東京のシステム会社を紹介され、念願の東京生活が始まった。
「それがまた忙しい会社で。終電はおろか、朝まで会社にいる、ということも珍しくなかった。まさに“修業”でしたね(笑)。もともと部活で鍛えていたこともあって、体力も根性もあったから続けられたんだと思いますけど、それより何より、やっぱり自分が作ったものが世に出る瞬間は格別なものがあったからでしょうね。ハードな生活も、苦だとは思いませんでした」
この“修業”時代に、青山さんは、その後の人生のパートナーとも言うべき、ふたつの出会いを経験する。
「会社の先輩女性からサーフィンやってみない? って誘われたんです。内陸育ちの私にとって、海のスポーツなんてそれまで無縁。泳ぐのもそんなに得意ではなかったんですけど、忙しい仕事の毒を抜くにはいいかなって気軽に行ってみたんです。そうしたら見事ハマってしまった!」
もちろん「最初はちっとも楽しくなかったですよ」。波にも乗れず、アウト(沖)にも出られない。スイスイと出ていく人を横目にひとり波間に取り残され「なんでこんな辛いことしなきゃいけないんだろう」と何度も思ったという。しかし、持ち前の負けず嫌いな気質で青山さんはサーフィンをやめなかった。そして“ある瞬間”がやがて訪れ、そこからはグングン楽しくなった。
今ではサーフィンが生活に欠かせなくなった青山さん。このとき誘ってくれた先輩女性ものちに、彼女の人生には欠かせない仕事のパートナーとなる。
 |
| ハードな仕事をこなしつつも暇さえあれば海へ出かけていたそう
。なので生活スタイルはもっぱら、仕事とサーフィンの繰り返しだったとか。 |
若いうちに海外に出ていろんな世界に触れたい
一度決めたら迷わない、後悔しない
仕事とサーフィンに明け暮れて3年が経つ頃、青山さんに次なる転機が訪れる。「いろんなものを若いうちに見ておきたいと思っていた」ところ、ハワイに支社を持つ日本のシステム会社の求人を見つけた。Webデザイナー募集の記事だった。
「海外に出たい気持ちがあったから、そういう求人サイトなんかをちょくちょく見ていたんですね。それで応募したら通ってしまって。当時はテロの影響で海外は危険……というムードが高まっていて、親からは反対されました。英語もできないし、会社をこれでやめていいのかという気持ちもあった。後ろ髪ひかれる要素はいくつかあったんですが、このチャンスを逃したら次はいつ来るかわからない。そう思ったら、もう決めてしまってました」
時間をかけ慎重にじっくり考えるけれども、一度決めたらもうその決心は揺らがない。そして行動に移す。この性格も、青山さんの人生をよい方向に転がしていってくれる、好要素だったといえるだろう。
「日本の会社だったから仕事をする上では、言葉の問題はあまりなかったんですが、生活面ではやっぱり最初は苦労しましたよ。不動産屋で部屋探しするのも、ジェスチャーでとか(笑)。幸い、仕事のペースは日本と違ってのんびりしてましたから、仕事が終わってから近くの小学校でやっている無料の英会話教室に通ったり。あと、ハワイ大学と共同でシステムの研究開発をしている会社でしたから、学生たちとの交流会などがあると、積極的に行ってましたね。ここまで来たらやってやるぞ、って感じだったんだと思う」
ひとつのプロジェクトに大勢で時間をかけて取り組み、残業もない。日本とは違う、のんびりした仕事のペースに最初は戸惑ったというが、そのおかげで、英会話の習得や、現地の学生たちとの交流ができた。そしてもちろんサーフィンも。
「仕事以外の時間をどう過ごそう、って最初は戸惑いました。ホームシックになりかけたことも。でも私にはサーフィンがあった。歩いてすぐ海っていう環境だったので、暇さえあれば海に行ってました。サーフィンがなかったら、かなり辛かったんじゃないかな」
旅は人を成長させる、とよく言うが、ハワイでの1年半も青山さんにさまざまな変化や示唆を与えてくれた。
「ハワイ全体に流れる空気というか、ハワイアンスピリットというか、そういうものに触れていくにつれて、自分自身も穏やかになっていったと思います。日本で仕事していたときはカリカリすることもあったんですが、そういう感覚がなくなっていった」
余計なものが削ぎ落とされていく。そうやってシンプルになることで、自分のライフスタイルや生き方が、よりはっきりとした輪郭を帯びていったのだろう。青山さんは、次々と起業するハワイ大学の学生たちと接するうちに、いつのまにか「自分もやってみたい」と思うようになっていた。
「IT系に限らず、たとえば写真とかフラ(ダンス)とか、みんな自分のやりたいことで起業していたんです。好きなことだから楽しみながら仕事ができ、やりがいもあって……理想的な仕事スタイルだと思いました。ちょうどいいことに、私にはWebデザインという武器がある。契約期間とビザが切れて日本に帰る日が近づいていた頃だったので、これは今やるしかない! と思って、すぐにハワイでの会社登記の手続きについて調べ始めました」
ここでも青山さんの行動は、思い切りがいい。何も知らなかった現地での会社登記を、聞いたり調べたりしつつ、なんとかやりとげる。そして本社・ハワイ、営業所・東京という小さなWebデザイン会社を立ち上げた。
サーフィンがなかったらどんな人生だったんだろう?
そんなサーフィンの素晴らしさを知ってもらいたい
日本に帰国後、会社員としてではなく、独立したWebデザイナーとしての生活が始まった。以前の会社のツテを利用することはせず、取引先は新規開拓。知人の紹介やネットなどを通じて、地道にお客さんを増やしていった。
「辛くはなかったですね。独立したことで仕事に対する意識もすごく変わったんです。会社員だった頃は、自分のことしか考えられなくて、なんで私だけこんな大変な思いしなくちゃいけないんだろうと思ったりして、会社やお客さんのせいにしてしまうところもあった。でも独立したら、当たり前だけど、全部“自分”。自分しかいないんです」
逃げ場はないし、責任転嫁もできない。仕事の納品前には、プレッシャーから大声を出さずにはいられないくらい追い詰められることもある。だけど、そうやって乗り超えることで、また自分が成長する。強くなる。
そして、そんな青山さんの生活の中には、やっぱりいつも、サーフィンがあった。
「ほんと、サーフィンに救われる人生です(笑)。海に行くとすべてがリセットされるんです。イヤなものが全部出てしまって、真っ白な自分になれる。サーフィンがなかったら私、どんな人生だったんだろうと思いますよ」
もはや青山さんにとって、サーフィンは趣味というよりライフスタイル。そして、生き方だ。そう実感したとき、青山さんには次の目標が見えてきた。サーフィンの楽しさをより多くの女性に知ってもらいたい。サーフィンの魅力をもっと広めたい。そんな純粋な思いから、サーファー・ガールのための情報サイト「NaluWahine(ナル・ワヒネ)」を立ち上げた。目的はビジネスというより、あくまで「交流」だ。
「ハワイ語で、ナルは波、ワヒネは女性という意味。サーフィンをやる女性って、だんだん増えてはきましたが、やっぱり教えてくれる人とか何かキッカケがないと始められないスポーツ。それにはまだまだ情報が足りないと思うんです。まず何からやればいいの?とか、海はどこに行けばいいの?とか。私自身も始めた頃はそう思ってたから、きっとそういう素朴な疑問を持っている女の子がたくさんいるはず。それに答えられるサイトにしたいんです」
ここで力になってくれたのが、かつて青山さんをサーフィンに誘い出してくれた先輩女性。彼女と一緒に、自らの体験を元に発見してきた女の子ならではの海でのノウハウや情報をコンテンツとして提供している。
確かに、“本気志向”のサーファー専門誌は数多くあれど、ビギナー向け、それも女性に向けたものは少ない。平日は会社員、休日はサーフィン。海ばかりという生活ではなく、お洒落も楽しみつつ……そんな中間層に向けたサイトにしたいのだと青山さんは言う。
「徐々に水着メーカーさんや映画会社などからタイアップのお話も来るようになってきました。今のところ、ビジネスにはなっていませんが、いずれはそうなって行けたらいいな」
ビジネス度外視。でも楽しいからやり続けられる。「ナル・ワヒネ」は、きっと、その楽しさが人を呼び、新たなビジネスチャンスを作っていってくれるだろう。好きなこと、やりたいことを純粋に追求し、続けていけばチャンスはやってくる。そのときを見逃さず、しっかりとつかまえること。それが青山さんの成功の秘訣のようだ。
「今は東京の生活が大半だけど、ゆくゆくは東京とハワイを行ったり来たりの生活にしていきたいですね」。
サーフィンあっての仕事。仕事があってのサーフィン。サーフィンとともに歩んできた仕事人としての青山さんの生活は、これからもきっと自由で、自分にウソをつくことのないものになるだろう。
海の上でも仕事でも、“波”をとらえてきたソウル・サーファーは、陽に灼けた顔で清々しく笑った。
|