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母親の夢を代わりに
実現する形で栄養士に
「高校3年生で進路を決めるとき、父から『お母さんの夢だった栄養士になってあげたら』と言われたのが食の仕事を意識したきっかけでした」。少女時代、経済的理由で栄養士になるための学校に行けなかった母親の夢を、代わりに叶えるべく神奈川県立栄養短大に入学。卒業と同時に栄養士免許を取得し、食品会社に入社したのだが……。
「直属の上司がアル中だったんです。机の引き出しから、ウイスキーの小瓶を出して飲んだりして。それがイヤで1年目の12月に退社しました」。
その後、21歳にしていきなり調理師専門学校の副担任となるも、職場の雰囲気が合わず3ヶ月で辞めてしまう。いったん、実家がある群馬・桐生に戻り、料理教室の講師を務めたが、若かった堀さんは職場の先輩たちに「あなたなんかに教えられるの?」とイジメられて、即刻退職。「気分が悪いところはすっきりと辞めた方がいい」。切り返しが早いのが堀さんの長所。
次は自らを強く売り込んで、地元の調理師専門学校の助手となった。「和洋中、昼間部と夜間部すべての実習を手伝いました。各先生にマンツーマンで料理を教わっているようなものなので、大きな力になりましたね」。
この時期に栄養士からワンランク上の管理栄養士の資格も取得する。ところが、「それなら、ということで栄養学を教えるようにと言われてしまったんです。私はずっと調理実習をして、生の料理に関わっていきたかったので断ったらクビになりました(笑)」。
といって、ジッとしている堀さんではない。続いて、26歳にして喫茶店を始める。「お昼は丼ものを20種類出していました。オムライス丼とか焼き鳥丼とか。近所の雀荘のご主人が、ってヤクザだったんですけど『おねーちゃんも大変だろ』と言って、お弁当を毎日5個注文してくれたり、結構繁盛したんです」。
順風満帆、それなのにどこか物足りない日々。調理師学校の助手時代、堀さんはその後の運命を決定する出来事に遭遇していた。
「日本料理を教えていた女性の先生に、和の精神を教わりました。あるとき、2人で遊園地に行ったんですけど、先生が『お茶をいただきましょう』とおっしゃるんです。てっきり、水筒からお茶が出てくると思うじゃないですか。ところが、先生は車から茶道具を取り出して、お抹茶をたて始めたんです。それも駐車場でですよ! ちゃんと主菓子もご用意されていて。もう、なんて素敵なんだろうとうっとり。そのことを思い出して、私がやりたいのは和食だ!って気づいたんです」。
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| 白を基調にスッキリとまとまっている『リール』の店内。
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思い立ったらすぐ行動
京都で本格的に和食修業
自分が本当にやりたいことを確信した堀さんは、即座に店をたたんで京都へ向かう。住む場所すら決まっていないというのに、しばらくホテルに部屋をとり、求人情報を片手に片っ端から電話をかけ、運良く老舗の日本料理店で職を得る。
板前見習をしつつも、堀さんが目指したのはまたしても調理師専門学校の講師。仕事のかたわら、卒業生しか採用しないという学校にアピールをし続け、なんとか助手に就任する。ここで特別講師としてやってくる『瓢亭』『辻留』といった日本を代表する和食店の主人ともコネクションを作り、学校が休みの日にはそれらの店で研修をさせてもらった。このとき料亭『菊乃井』主人、村田吉弘さんとも縁ができ、のちに『菊乃井』に入社。やがてデパ地下等で販売するお総菜の開発を任されるようになる。
フレンチシェフとの結婚により
ミール・プロデューサーへの道を踏み出す
2001年に同じく京都の調理師専門学校で講師をしていた夫と結婚。夫が東京・鵜の木にフレンチ『ル・ヴェルデュリエ』を出すに伴い、東京へ引っ越してくる。2003年には38歳での出産も楽々クリアし、 子育てをしながら今年1月、『ル・ヴェルデュリエ』の支店として高輪『リール』を出した。
テーマはアンチエイジング。夫が仕込むフレンチ仕立ての素材を和の技法と合わせ、管理栄養士の観点で医食同源に基づく料理を作っている。年中無休というが、堀さんの肌はきめが細かくツヤツヤ。生き生きとした表情は微塵の疲れも感じさせない。
「学生のときしかきちんと休んだことなんてないんですよ。料理が大好き。好きなことを仕事にしているから、つらいとか大変だとか思わないんでしょうね。京都の調理師専門学校時代にたまたま休みが取れることになって、当時付き合っていた夫と旅行に行く予定を立てていたんです。それが、前日になって憧れの『辻留』さんから手伝いに来て欲しいと言われて、迷わず旅行をキャンセル。それくらい、料理ひと筋。夫もサラッと『じゃあ、旅館キャンセルしといて』って、理解があるんです。お互い料理人だから」。
好きなこと、やりたいことを仕事にする。それはシンプルだが、いざ実現するとなるとたやすくはない。それでも、休まずに真っ直ぐ突き進めば、願いは叶う。おまけに結婚、出産まで。何かを犠牲にするのではなく、楽しんでやる仕事にはおのずと幸せも付いてくるのだろう。
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