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| 現在に至るまでの道のりは まるで「空中ブランコ」 「まず知ってください、それからどんな小さいことでもいいので行動してください」。国際支援に取り組むNPO、JEN 今は国際協力を生涯の仕事にしたいと考えている木山さんだが、「実を言うと、あまり将来のことを考えないタイプなんです。これまでも、空中ブランコのように、向こうからブランコが飛んできたからそれに飛び移ってきた、そんな感じ」。でも、そのキャリアで見えてくるのは人の縁を大切にし、チャンスを必ず生かしているということ。 大学卒業後、電機メーカーに就職。入社1年目で貿易部に異動。すぐに活躍し始めたが、同期の男性が昇格昇級した3年目、木山さんの待遇は何も変わらなかった。「業務成績は私がトップなのにどうして?」このときの素朴な思いが、職場での性差別について理論的に学ぶための留学を決意させた。 最初はダメダメ人間。 現場に出て初めて仕事の醍醐味を知る 「卒業が近くなっても将来のビジョンがなくて、ハウスメイトによく怒られてました(笑)」。米大学院で社会学の修士をとった後、一度帰国。そんな木山さんを心配した友人の勧めでJICA(国際協力事業団=現国際協力機構)の下請けをする国際協力コンサルタント会社に就職。ここで初めて国際支援と出会いその重要性を知るが、「当時は、国際支援全体のイメージが見えていなかったので、何がわからないのかも、わからなくて」。 この状況に力を貸してくれたのも友人だった。木山さんは34歳のときに国際支援のNGOに移る。語学力が買われ、すぐにネパールへと赴任。「現場に出るのは初めてだったんですが、不思議と不安はありませんでした。人が住んでいるなら、私も住めるだろう、って(笑)」。人々の暮らしは極貧だったが、日本には残っていない自然や心の豊かさがあった。休耕田には蛍がたくさん飛び、見上げれば満天の星空。「どこからが星でどこからが蛍なのかわからないんですよ」。蛍が好きと木山さんが言うと、現地スタッフがベッドに吊った蚊帳の中に蛍を入れてくれた。 その後JENの創立メンバーに加わり、内戦に苦しむ旧ユーゴスラビアに拠点を移す。紛争地という特別な緊張感に満ちた、めまぐるしい日々。でもそこには、自分がプロの仕事をすれば、たとえ爪でかいたほどでもこの人たちの生活が変わる、という喜びがあったと言う。
お金でも地位のためでもなく 辞めたくなったことが一度だけある。紛争中のチェチェンで旧ユーゴスラビアに続き、避難民に話を聞いていたときにふと気付いた。この仕事をしていたら、世界中どこに行っても不幸な人たちにしか会わないんだと。「でも、人びとの悲しみに痛みを感じている間は続けていこう、だからこそ支援をしていていいのでは、とあるとき思えるようになって」。 この時期木山さんは、周囲の勧めで受けた国連からポジションのオファーがあったが断っている。国連勤務は多くの人の憧れ。仕事の中身はもちろん、ステイタスも待遇も格別。それなのに? 「その時期JENは、コソボ危機に取り組んでいたとても大変な時期で、自分をここまで育ててくれたJENを出ていくことはできないなと思ったんです。お金と地位には、興味がないんです(笑)」。 私たちには、何ができるのだろう? 木山さんは冒頭の“知ること、そして行動すること”の後に言う。「続けてください、忘れないでください、伝えてください」と。紛争地についてテレビで見たのが4月1日なら、毎月1日はその地について思いを新たに自分に何かできないか?
と考え、行動する日と決める。「月1回だったらできるはず。それぞれの人がそれぞれの場所でベストを尽くせば、世界は変わると私は信じています」。
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text / Angel Atsumi photos / Cafeglobe |

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