「神様って……本当はひとつだと思います」
「宗教はいいものです。でも、自分の神様がいちばんと思うのは危険ですね。そう思うとケンカになっちゃいます」
デンパサール空港に向かうミニバスの中で、今回の取材ツアーを担当してくれたバリ人ガイドのアリッツが話し始めた。アチェやジャワで起こっている抗争についてどう思うかという質問をしてみたときのことだ。宗教が生活の中に根付いているバリの人にとって、同じ国を構成する他の宗教の人の存在ってどんな感じなんだろう?
村が宗教や民族で二分されて殺し合いになるなんて、日本でのほほんと暮らしている身には、正直なところ想像もできない。もっとも、それは社会の中の少数派になったことがなく、住んでいるところを追われたり、差別をされたこともないからなのだろう。たぶん、平和で豊かな国に育ったラッキーな人間のナイーブな意見なのだ。
アリッツは、観光ガイドとして話し慣れたトピックではないからか、最初は話しにくそうにしていたが、私のしつこい質問に少しずつ説明を始めてくれた。彼によると、比較的落ち着いているバリの中でも、宗教がらみの衝突など、小競り合いはあるという。とくに、ジャワ島から来た人たち(多くはイスラム教徒)が問題を起こすことが多いため、何か問題が起こるとジャワ人のせいだということになったりするのだそうだ。
「神様って……本当はひとつだと思います。宗教は、神様に向かう道ですね。いろんな道があっていいと思います」。アリッツが遠慮がちに言ったのを聞いて、もっと話したい、空港がもっと遠かったらよかったのにと思った。私がずっと考えていたこととまったく同じことを、バリに生まれ育った人が考えていたのが、うれしかった。残念ながらタイムアップ、アリッツとの話はそこで終わってしまった。
バリも日本も、アミニズムが根底にあるからこういう考えに至りやすいのだとは思う。でも、私がこの考えを打ち明けたことのあるヨーロッパ人やアメリカ人の友人たちの何人かは、「自分も漠然とそう思っていた」と言ってくれた。もっとも、そのコたちは熱心なキリスト教徒ではないけれど。
世界中の人が、自分の信仰心を大切にしながら、でも他の宗教を排除しないで暮らしていければいいのに……と思う。でも、こんなふうに余裕を持って考えられるのも、これもまた豊かな暮らし、教育に恵まれているからなのか。明日ごはんが食べられるかどうかの瀬戸際の人は、神様に強く強く願うことでしか救われないのかもしれない。やっぱり、世界から貧困をなくさないと問題は解決しない。
もうすぐクリスマス。世界中の人が、幸せなクリスマスを過ごせますように。キリスト教徒でない人も、みんなが幸せでありますように。
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ウブドのお寺にあった神様の像。毎朝、チャナンサリと呼ばれるお供え物でお寺の中は埋め尽くされる。
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