全部手に入れたい病
ロンドンは今日は小糠雨。重たい灰色の空を眺めつつ、今、Cafeglobe生活研究所で開催している「“少子化”ってどう思う? Talkabout!」(※掲載終了)に集まっている投稿を読み直している。ユーザーのみなさんの真剣さ、聡明さ、あたたかさに胸を打たれつつ(当社PR担当スタッフは読んでいて涙したとか)、あらためて私たち自身について感じたことなどを少し。
最近気になっているのは、私たち、少し頑張りすぎなんじゃないかな?ってことだ。これはおおいに自戒も込めて。いや、ほぼ完全に自戒と言ってもいいのだけれど。
たとえば、このところずっと流行っていた言葉に「自分磨き」があるけれど、いつのまにか自分を高めること自体が目的化してしまっている気がする。キャリアを手に入れたい、パートナーも手に入れたい、子どもも欲しい、旅行も行きたい、ヨガもやりたい、きれいなインテリアの家に住みたい、おしゃれでいたい、太りたくない……どれもこれも手に入れたい。
手に入れたいと思って努力することに問題はないし、たとえばキャリアと家庭を両立しにくい不公平な環境には働きかけて変えていくべきだし、ひとつひとつはまったく問題ないと自分でも思う。でも、その「手に入れたい度」がちょっと行き過ぎてる?ような気がしてきたのだ。
キャリアにしても、パートナーのスペックにしても、自分の外見にしても、理想を高く掲げれば掲げるほど、イケてない現在の現実がずっしりとのしかかってくる。理想のことを考えるたびに、一瞬不幸になっている。全部手に入れたいと強く思えば思うほど、まだ手に入れていないもののことが気になって、不幸になる。手に入れている人が妬ましく思える。これって、すごくよくないと思う。ブームになった「負け犬」論争なんかもここが根っこだ。
いや、つい自分のこととして考えてしまったので言葉がきつくなってしまったけれど、これ、批判のつもりではない。頑張ることはいいことだと思うし、私たちが頑張ってきたからこそ、魅力的な女性ってものすごく増えていて、楽しい生活もできていると思う(それで私たちに合う男性が足りなくなってきちゃっているという副作用も出ているけど)。ただ、ここらで少々、力を抜いてもいいのかな、と。
ヨガなどでいうところの、もっと今この瞬間を見つめること。持っていないものよりも、持っているものに目を向けて幸せを呼吸すること。ときどき立ち止まって、意識してやってみようと思っている。
|
 |
 |
変な話、高度経済成長を支えてきたモーレツサラリーマンの血を引いた娘たちだからこそ、こんどは自分磨きにモーレツに邁進してしまっているような気がする。
|
|