夫のJ・ルカと一緒に、日本に里帰り旅行をすることになった。彼にとっては、日本どころかアジアそのものに来るのが初めてだ。 アメリカ国内ならふたりでJ・ルカのおばあちゃまを訪ねてフロリダ(*1)に行ったこともあるけれど、今回は初のふたり海外旅行。機中で過ごす時間だけでも約13時間という長道中だし、J・ルカにとっては異国への“冒険”であり、わたしにとっては母国への“帰郷”への旅という複雑な(でもないか)事情つき。お互い、思うとおりにいかないこともあるだろう。「あと○日だねー」と指折り数えてワクワクしつつ、内心「途中でケンカしたり、トラブルに巻き込まれたりしないよね」とやや不安な思いも交錯していたのだ。 私にはなぜか、日本に帰る直前になるといろいろ「するべきこと」を累積させてしまい、ものすごく大忙しになるというクセ(?)がある。今回も、秋に出版予定の翻訳本の校正(*2)が終わらず、機内へ持ち込むことに。そのうえ「出発前夜にバスタブの塗り替え(*3)をする」という無謀プロジェクトに手を出してしまった。 昼間は旅行中に必要なものや猫のエサの補給、塗料などを買いに駆け回り、夕方からバスタブ塗りをしつつランドリーに出かけ、荷づくりその他いろいろが終わったのは午前4時。2時間ほど仮眠したあと、疲労困憊した体に五里霧中の頭をのっけて JFK空港へ向かった。 空港での待ち時間というのは、いつもちょっと苦手だ。半端に長いようで、そのくせ落ち着けなくて。日本とアメリカを往復するときも、他の国に行くときも、必ず何かしら「しばらく会えない」人たち――家族とか、友だちとか――に思いが向いてしまう。 JFK発成田行きの便はほぼ満員だった。幸い、エコノミーでも足をのばせるように大きめにスペースを取った新型の飛行機(*4)だったのでホッと安心。なにしろ13時間腰かけたままというのはやはり大変なものだ。いちばん心配だったのは、そのせいでふたりのどちらかが機嫌が悪くなったりして、気まずくなってしまうこと。 ずっと眠っていられればいいけれど、どうしても眠れないということもある。私はいつも本を読んでいるけれど、今回はふたりでコミュニケーションもできるように“Scrabble”(*5)も荷物に入れておいた。 でも蓋を開けてみたら、機中での時間は今までのニューヨーク―東京の旅のどれよりも短く感じるほどだった。もっとも、私はひたすらコリコリとペンを走らせ校正仕事に精出していたので、単に“持て余す”べきヒマがなかっただけのことなのだが。J・ルカは、本を読んだり日本までの飛行距離マップを眺めたり、静かに過ごしていた。 事件が起きたのは、成田空港に着いてからのことだった。無事に移民局も税関も通過して、ロビーに出た私たち。「私の両親のうちに行くには、まず都心に出るの。電車とリムジンバスがあるけど、どっちがいい?」とJ・ルカに聞きながら、ハッとした――日本の銀行口座のカード、持ってくるの忘れた――。 日本で使うお金は日本の銀行口座から円で引き出して使うつもりだったので、現金は40ドル程度しか持ってきていない。私が取り乱しているのを心配そうに見ていたJ・ルカが言った。「ぼく、数百ドル現金で持ってきているから大丈夫だよ」 そ、そうだよね。とりあえず実家まで行ければいい。私の分のお金は改めて身分証明書を持って銀行に行けばなんとかなるだろう。それでも、私はまだショックが収まらなかった。いつもなら絶対に忘れたりしないはずなのに――。「これが私の国だよ」とスマートに案内したかったのになあ。とりあえずJ・ルカの手持ちのお金からいくらか日本円に両替し、実家に電話してこれから向かうことを告げて、都心に向かうことにした。 わが両親の家へ行くには新宿に出るのがいちばん便利だ。新宿行きの成田エクスプレス発車まで待ち時間が1時間。「あと5分で発車」というリムジンバスを使うことにして、切符を買い、急いで乗車場へ向かった。預ける荷物をチェックインしてバスに乗り込み、さあ出発というとき――。 まずい。今度は、ハンドバッグがない。パスポートとお財布は肩からひもで下げる小さなバッグに入れていたけれど、カメラと手帳はハンドバッグに入れたまま。どこに置いてきちゃったんだろう!? 運転手さんに「す、す、すみません、大切なものを忘れてしまって、ちょっと待っていてください」と言うと「運行時間の都合がありますから、いったん出てください。チケットは変更できるようにしますから」との答え。そりゃそうだよね。「チケットの半券と荷物は受け取っておくから、早く探しに行きなよ」とJ・ルカが後ろから叫ぶのを聞きながら、空港内に向けて再ダッシュした。 どこに置いた? だれかが持っていっちゃったとしたら? 他に何が入っていたんだっけ。あああああ、なんてバカなんだろう――。 ロビー内にあるバスの切符売り場でハアハア言いながら事情を説明したけれど、係の女性は気の毒そうに首を振るばかり。公衆電話にもない。他にどこかに寄ったっけ? もう何がなんだかよくわからないくなって、頭の中はただ渦巻きがいっぱいグルグル回っている。もう一度バスのところに戻ろうとすると、J・ルカがふたり分の荷物を持ってやってくるところだった。「あのさ、さっき両替したところは?」 J・ルカの言葉に、くるりとUターンして銀行に取ってかえし、さっき私たちの用紙をチェックしてくれた銀行のおじさんに「あのあの、さっき黒いハンドバッグを……」と言いかけると、おじさんはほわ〜んと言った。「ああ、すみませんね、インフォメーションに届けておきましたよ」 よかった……と安堵しようにも、さっきの銀行カード事件のショックもあいまって、私はすっかり“大慌てモード”が抜けず、おじさんへのお礼もそこそこにインフォメーションに向かって駆け出していた。 半時間後、ハンドバッグをしっかと膝の上に抱え、変更かなったバスの中で揺られながら、しみじみ反省。ふたり旅だからって、今回の私はちょっと浮ついているんじゃないか?いつもならこんなことはないのに。ひとりなら、もっと気を張っているはずだもの。 その一方でこんな声もする。「ひとり旅ならきちんとできる」って、それは過信じゃないか? ひとりでもときどき忘れものしてるくせに(いや〜、そうなのであった)。むしろ、銀行カードのことだって、ハンドバッグのことだって、J・ルカが落ち着いていてくれたからこそ、大事に至らなかったのでは? 私ときたら銀行で両替したことだってすっかり忘れていたのだから。 J・ルカは横で、車窓の向こうに広がる日本の風景を面白そうに眺めている。やはり、田んぼや竹林、昔ながらの瓦屋根の家が面白いらしい。「日本の印象はどう?」と聞くと、「混沌とした中に、何か静けさと平和の気配がする」という答えが返ってきた。うう、私も、混沌頭の中に早く静けさと平和の気配をもたらさねば。 ところで、ちょっと告白すると……今回の旅で、自分でもいやなくらいカリカリしてしまった一瞬があった。最初の2日間、私の仕事関係の打ち合わせで都内をいろいろ回っていたときのこと。長旅で体が少し疲れていたのと、「仕事の打ち合わせをうまく済ませたい」という思いと、「J・ルカが退屈しているんじゃないか」という心配と、「ここは私の国なんだからしっかり案内しなくちゃ」という気負い――そんないろいろが重なって、なんだか気持ちの余裕がなくなって、心なしか呼吸さえも浅くなってしまったのだ。 「あのさ、ぼくは君と一緒にいろいろ見られるだけで楽しいんだから、“ごめん”って連発するのやめてね」――そんなJ・ルカの言葉にちょっとハッとした。 そうだよね。「あれもこれも」やろうとして疲れてしまったり、どちらかが「キーッ!」となってしまうのって、本末転倒というものかもしれない。私たちのように、「片方の仕事関係の打ち合わせにパートナーを連れて行く」という項目も加えたふたり旅は特殊かもしれないけれど、ふたり生活のパートナー同士だったら、たとえばどちらかの郷里に相手を連れて行ったり、親戚との会食に参加したり、という状況も「片方がリードする」という意味ではちょっぴり似ているかも。 どこそこに行って、なになにをして……という“事実”よりも、そこで出会った人や場、風景や音をふたりで分かち合えること――たとえそれが「あそこのラーメン、ぬるくってまいったよね〜」といったことであっても――にこそ、ふたり旅の醍醐味があるのかもしれない。そんなことを考えながら深呼吸してみたら、ケバだっていた心が少し落ち着いてきたのだった。 せっかくJ・ルカがいるのだからと、友人が“おすすめ観光コース”を教えてくれた。浅草で仲見世通りをひやかし、浅草寺にお参りし、そこから水上バスで隅田川を下ってお台場に行き、無人モノレール「ゆりかもめ線」で帰ってくる、というもの。東京で育ったとはいえ実家は武蔵野方面だったから、下町は私にとっても未知の世界。でもJ・ルカがいなくてひとりだったら、こんなふうに改めて東京見物をすることはなかっただろう。 「旅をすることで、いつも住む街ではなかなか出てこない自分が見えてくることがあるんだよ」と言った人がいた。それならば、パートナーと一緒に旅をすることで、何が見えてくるだろうか。 私の場合、J・ルカの知らない面を見た――ということはなかったけれど、かわりに彼のいい面に改めて触れる機会を得たと思う。言葉も通じない異国で、バタバタ大騒ぎしたりカリカリしていた私にうんざりすることもなく、ゆったりと身構えていてくれたり、わが両親ともすぐに打ち解けてくれた(次号“家族編”に乞ご期待〜)。一方、私自身についても、たとえば「ふたり旅における私」と「ひとり旅における私」の違いなど、今まで考えてみたこともなかったことを考える機会を得た。 ひとり旅のとき、私は自分と、たくさんの話をする。見知らぬ土地の風景、音、匂い、人の気配、土地柄を映した味――そんな旅のいろいろに自分の心がどう響くか、それを確かめずにはいられないのだ。そんなふうに対話していくと「私はこんなふうに感じるのか」とびっくりすることがある。でも、自分の中に響いた印象や思いを、誰かと分かち合いたいと思うこともよくある。そうして、ひとりで気ままに歩きまわり、立ち止まりたいときに好きなだけ佇める自由は、「ひとりですべて決めていかなければならない」という緊張感でもある。 J・ルカとのふたり旅で気づいたのだけれど、私は今までひとり旅か、気心知れた家族旅が多かったせいか、自分にとって心地いい間合いで移動できないとイライラしたり、相手がどう感じているかが心配になってハラハラしたりと、どうも両極端になってしまう。自分にとっても相手にとっても心地いい間合いを慮りながらの旅は、ひとり旅よりも少し自分の中に幅をもたせる工夫が必要かもしれない。 これからも、いろんな土地へふたりで旅する機会があるだろうし、あってほしい。そんな中で、だんだんとちょうどいい「ふたり旅の塩梅」を見つけていけるだろうか。 あなたにとって心地いいふたり旅って、どんな旅ですか? |
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