更新日:2004年2月26日 RSS

 
葉的紐育御気楽ふたり生活

誰かと暮らすニューヨーク

大好評だった「葉的紐育……」の最終回で結婚報告をしてくれた渡辺葉さんが、今度は「誰かと暮らす、ということ」について語ってくれます。自分たちも含めたさまざまな「ふたり生活in NY」を眺めながら……。

文・写真/渡辺 葉


一緒に暮らして初めて気づく意外な側面
どんな風に受けとめていますか?


 J・ルカと一緒に暮らし始めて、もうすぐ丸2年になる。ひとり暮らししていた頃のことはずっと昔のような気もするし、まだ“ふたり生活”入門組のような気もするし、ちょっと不思議だ。

 J・ルカに初めて会ったとき、「こいつ、変なユーモアのセンス持ってる」というのが第一印象だった。その“変なユーモア”のセンスは私のユーモアのセンスとなぜかピッタリ合っていて、気がついたら「他の人には通じないかも……」という冗談をポンポン飛ばしあっていた。出会って2、3ヶ月はまともな身の上話などほとんどしていなかった気がする。それが半年もすると「結婚しよう」ということになっていたのだから、人生わからないものだ。当然、一緒に暮らしてみるまで知らなかったこともいろいろある。



葉:「……というわけで、“一緒に暮らしてみて判ったこと”について考えてるんだけど、どう思う? たとえば私にとっては、Jがきれい好きなの、意外だったな」
J:「僕が? でも机の周りとかいつも散らかってるじゃない」
葉:「そういえばそうだね。でも、猫トイレ(*1) をせっせと掃除してくれるでしょ。私ひとりのときもやってたけど、そこまでマメじゃなかったもの」
J:「僕の場合は、きれい好きなんじゃなくて……」
葉:「猫たちに快適に暮らしてほしいから?」
J:「うん。どっちかといえばそう」

 普段は私の方が家にいることが多いので、床をササッと掃くくらいの掃除は私がやることが多い。でも猫トイレの掃除はいつもJ・ルカがやってくれるので、すっかり彼の管轄になってしまった。それに、たまのお休みにバスタブからバスルームの床のタイルまできれいに磨いてくれたり、私が掃くだけの床に丁寧にモップがけをしてくれたりする。私の“いつも・ちょっとずつ”型の掃除に対して、J・ルカは“突然・たっぷり”型の掃除をする、といえるかもしれない。

葉:「そっちは、どう? 意外だったことってある?」
J:「君が料理上手っていうのは知らなかった。ワタシ、結婚したら体重が増えるってことも知らなかったんだわ。ヒーッ(泣くまね、*2)」
葉:「ひとり暮らしのときはあんまり料理しなかったからね」
J:「大工仕事が得意っていうのも知らなかったな。あと、ミシンでいろいろ縫って作っちゃうってことも」
葉:「そういう面は、暮らしてみないと見えないよね。あと、私はJが意外と短気なところがあるのに驚いた。私が短気なところがあるの、驚かなかった?」
J:「いや、うん……(と、言葉を濁す)」
葉:「私たちふたりとも、ケンカっぱやいところあるよね。別々に暮らしているときは、そういうところをあまり見せなかったかもしれないけど。お互い、冗談言い合うのに忙しかったからかも」
J:「いまも冗談言い合うのに忙しいよ」
葉:「そう言われると、そうだ」
J:「ふたりで一緒に変わった部分も多いよね。たとえば政治に関心を持つようになって雑誌を読み始めたり……」
葉:「うんうん。以前よりエコロジーに意識が向くようになったりとか」

 確かに、ふたりで暮らすようになって、どちらかひとりがではなく“ふたりで”変わってきた部分、というのはけっこう大きいかもしれない。相手の知らなかった部分に驚くよりもむしろ、相手と自分、“ふたり”というひとつの存在になって開けてきた進化に目をみはる、といったふうに。



 「私たちの場合は友だちとしてつきあい始めて、結婚するまで8年もそんなふうにつきあっていたので、一緒に暮らしだしたとき、『もうお互いのことは充分わかってる』って思ってたのよね」と、えっちゃんは言う。

 でも改めてこのテーマで話してみたら、えっちゃんはケンジさんを「繊細だと思っていたけれど、意外に図太い神経の持ち主」、ケンジさんはえっちゃんを「肝の座った人だと思っていたけれど、意外に小心なところもある」と“発見”していたのだとか。えっちゃん曰く「暮らしてみて初めて、お互いの本質的な部分が見えてしまったのよね〜」(笑)。

 それまで相手の良いところばかり見ていたので、一緒に暮らすようになってマイナス部分を発見し、それに伴って自分のマイナス部分も発見した――とえっちゃんは言う。一緒に暮らし始めた当初は、自分のことを理解してほしい、相手のことももっと理解したい、そんなもどかしさや葛藤からケンカに発展して……というパターンを何度もくりかえしてきた、と。

 「だけど、もうそれは超えて、お互いのマイナス部分もひっくるめてふたりで暮らすってことを学んだ気がする。今では友だちにも親や兄弟・姉妹にも見せない部分をパートナーにぶつけても、受け止めてもらえる安心感がある。相手を受け止められる自信も出てきたし。人との関わりのなかで日々前進、これが“ふたり生活”の醍醐味だと思う」

 えっちゃんの言う、「相手のマイナス部分を発見すると同時に、自分のマイナス部分を発見した」というのはすごく鋭い指摘だ。相手のマイナス部分というのは、人間的成熟を軸とすると“もうちょっと成長しましょうね”的部分。そこに目くじらたててしまう自分はどうなの――という問題。



 相手のマイナス部分に対してムカッとくるのは誰にでもある。それをケンカにならないように指摘して、話し合いでもできたら上等だし、“ひとの振り見て我が振り直”そう――と考えるのもひとつの賢い対処法だと思う。でも、うまく言えないけれど、えっちゃんのこの考え方には、相手に対して(それがどんなに“近い”ものであっても)距離をおいて眺めるのではなく、相手と自分とを等しく、「ときに愚かで、ときには脆く、けれど愛しい存在」として見る視線があるように思える。

 たとえば、水鏡に映った木や雲の形を見て、ハッとふりかえったことがあるだろうか? そうして“実物”の木の葉っぱのざわめきにそれまで聞こえなかった風の音を聞いたり、空を駆ける雲の形に思いがけない何かを見出したりしたことは?――ここにはそんな、客観とも自省とも違う、穏やかだけれど強さを秘めた、ある種の“たおやかさ(*3)”がある。そして「これは、こういうもの」、「このひとは、こう」という決めつけを避けて、意外なものに心を開こうとするゆとりがあるように思うのだ。

 マイナス部分、とひと口に言ってもいろいろあるし、それが相手を精神的・肉体的に傷つけるようなものであったらゆゆしき問題だ。でもそれが、ちょっとした人間的な“弱さ”の範囲にとどまるものならば、「相手のマイナス部分を発見すると同時に、自分のマイナス部分を発見」しようとする姿勢って、素敵なことじゃないだろうか?

 相手の、そして自分のマイナス部分をも「ひっくるめてふたりで暮らす」ためには、お互いを受容するおおらかさと、“ふたり”というユニットで成長していこうとするポジティブさが必要だ。相手のマイナス部分も、自分のマイナス部分も、いつかプラス部分に変えていけたらいい。それがたとえ「いますぐ」できなかったとしても、成長する可能性をも含めてお互いを受け止めあい、見守りあう――“ふたり”で生きることを選ぶ、というのはそういうことでもあるのではないだろうか。




  ダーリーンとヨースはこう語る。

ダ:「最初の“恋に落ちて”期間が過ぎた後、ヨースが北ヨーロッパの人(*4)なんだってことを“発見”したわ。あんまり愛情表現が豊かじゃないし、スキンシップもないし、ロマンチックじゃないんだもの! 驚いたけど、彼の育った文化的背景を考えて理解するしかないんだってあきらめることにしたの。でも幸いなことに彼もだんだん“ユーザーフレンドリー”になって、実は愛情深い人だってことがわかってきたの」
ヨ:「僕たちが最初に会ったとき、ダーリーンは16ヵ月かけての大旅行中だったから、仕事の話なんかしなかった。彼女の母国アメリカに来てみたら、ダーリーンがワーカホリックだってことがわかったよ! あと、僕は結婚してアメリカに来てみて、自分がいかに仕事がきらいかってことがよくわかった」
ダ:「アメリカに来てヨースは、仕事するってことを“発見”したの。ここに来たのは30歳のときだけど、それまではずっと大学院にいたから、フルタイムで働いたことがなかったのよね。でもニューヨークではそうはいかないでしょ? 本人はあんなこと言ってるけど、今みたいに大学で働く(*5)前も、研究を続けながら生活のための仕事をする、という変化にうまく慣れてくれた。一方、私はヨースと暮らすことで、私にもパートナーとうまくやっていくことができるんだってわかったの」

 ダーリーンとヨースはとても仲良しで、興味の対象にも重なる部分が多い。が、同時に彼らはそれぞれ、自分の世界をしっかり持っている。

ダ:「映画や芝居の趣味が共通してたり、同じ本を続けて読んで話し合うということも多いけれど、関心が異なる部分もある。それが実はうまく作用してたりもするのよね。たとえば政治的な考え方とか、本質的には同じなんだけど、少し違った切り口で眺めていることもある。そういう違いがあるとかえって、会話が面白くなるから」
ヨ:「お互い、独立した時間を持つことはとても大事だと思う。『なれあいは災いのもと』ってことわざがあるけど、逆に言えば、お互いにある種の距離を保つことで尊敬が生まれるってこともあるよね」




 えっちゃん&ケンジさんのカップルも、ダーリーン&ヨースのカップルも、ふたりでやり取りしているところを見ていると、何度も一緒に演奏してきたベース奏者とサキソフォン奏者の即興を見ているような気になる。次に何が来るかわからなくても、つかず離れず、緩めのハーモニーを保って曲の流れをつむいでいく、といったような。そこには1+1=2では解ききれない、1+1=“ふたり”という関係がある。

 思えば、J・ルカとの暮らしの中で私にとっていちばん新鮮だったのは、彼ひとりに関する発見でも、私ひとりに関する発見でもなく、私たち“ふたり”がどういうふたりなのか、そしてふたりでどう変わってきたか、どう変わっていきたいかを見つけていくプロセスだった。現在わが家ではある一大プロジェクトが進行中なのだが、これなんかまさに、ひとりでいたときにはまったく想像もしなかった、意外な展開なのである。詳しくは次回(そしてなんと、最終回なのだ。ジャジャーン)にご報告しますので、乞ご期待!
「人生において何がいちばん大切だと思うか」、そして「どう生きたいか」を“ふたり”というユニットの中で考える、ということ。J・ルカと暮らしてきた2年間にも、それはどんどん変わってきたし、これからも変わっていくのだろう。

 パートナーと“ふたり生活”中の方、機会があったらぜひ「一緒に住んでみてわかった意外なことって、ある? 私のことでも、あなた自身のことでも、ふたり一緒のことでも」と聞いてみてください。思いもかけない答えが聞けるかもしれませんよ……。









パートナーと暮らして見つけた意外な面は、どんな……?
「意外といいヤツなんだ」と思える発見が多い。
「おいおい、こらっ」と言いたくなる悪癖が多いかも。
困った部分と、尊敬できる部分が混在している。
意外な面って、意外となかったみたい。

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カップル Profile

彼女が料理も……
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こんな快楽も……
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こんなに寝相が……
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彼が覆面レスラー…
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水鏡に映った……
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水鏡の写真を撮りに…
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*1
猫を飼っていない人のために解説すると、猫トイレは四角い洗面器のようなもので、ここに小さい粒になった“猫トイレの砂”を入れておく。これは石灰でできている場合もあれば、化学物質、あるいは紙や植物を加工したものでできている場合も。この“砂”に猫が埋めたウンチやオシッコ(“砂”によっては、液体に反応して固まるようになっている)を穴あきスコップですくいだして捨てる、あるいは人間のトイレに流すのが、毎日のお掃除。そのままにしておくとだんだん汚れてくるので、1〜2週間に1回、“砂”を全部出してトイレを洗い、きれいにする必要がある。ここで言っているのは、その大掃除のこと。







*2
J・ルカの“変なユーモア”には、ときどきこうやって突然いろんなヒト(ゲイのお兄さんとか、“太めの女子高生”とか、オペラ歌手とか)になってしまう、というものがある。先日は「パプリカ」という名前のエアロビクス・インストラクターになっていた。









*3
「女」偏に「弱」と書いて、“たおやか”(←常用漢字じゃないのかな? コンピュータでは出てこなかった)と読む(“しなやか”とも読む)。辞書を引くと、「たおやか――弾力があって柔らかいさま」とある。『いと色深う、枝たおやかに咲きたるが――(枕草子)』とあるように、柔らかく美しく、けれどしなやかな若い枝のイメージ。力を入れるとたわむけれど、ポキリと折れたりせず、手を離せばまたビヨ〜ンと元に戻る感じ……なーんて、なかなかよいではありませんか。







*4
ヨースはオランダ、アムステルダム出身。ダーリーンはイタリア系アメリカ人。すべてに一般論は当てはまらないけれど、このカップルを見ていると、南ヨーロッパ系アメリカ(ダーリーン)=感情表現豊か、北ヨーロッパ系(ヨース)=理性を重んじる派、という公式がピッタリ当てはまるのです。





*5
ヨースは現在、ニューヨーク大学で文学・社会論の教鞭を執っている。



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エッセイスト・翻訳家
渡辺 葉

'95年からニューヨーク在住。'02年に結婚、ふたり生活を謳歌している。Cafeglobeで大人気だった連載「葉的紐育御気楽生活術」も単行本化されて好評発売中(『ニューヨークで見つけた気持ちのいい生活』青春出版社刊)。


『ニューヨークで見つけた気持ちのいい生活』

渡辺葉さんの本はコチラから。





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