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「最近、 家の本を出版しましたねぇ」。日本家屋時代の大家から電話が。「あの表側の坪庭ありましたでしょう。このまえ駐車場にいたしましたの」。ええっ。大ショック。僕は持ち主じゃないからあの家にとやかく言う権利はないけれど、あの家はあの坪庭が素敵だっただけに、もったいない。ふ〜、ため息が出て、ちょっぴり大家を恨みました。つい最近の話。
「大家とテナント」、それは単純に「家賃を介しての関係」だけではなく、「家を通じての運命共同体」なのではないかな、と最近になって思うようになりました。以前は「借りている身」としてずいぶん憤慨して、なぜって思ったことが、ほんの少しだけ最近になって理解できるようになってきました。家ってほんとにふしぎな力を持っているんですね。
貸す側は借りる側のことを考え、借りる側は貸す側のことをほんの少しでも考えれば、もっと賃貸関係はうまくいくのかもしれませんが、それは現実問題なかなかむつかしいことです。お互いが「我」をはってそれぞれの立場を主張すると、間にいる家も疲れてしまうので、ものごとがいい方向へは進まなかったりします。「家」って生きていますね。それをないがしろにしては何事も前へは進まないのです。

さて、ずいぶん前置きが長かったですが、この春、僕も大家になりました。持ち家を晴れて人に借りていただけることになったのです。貸すに至った理由はシンプルで「家はやっぱり人に住んでもらってこそいきいきする」ということに今更ながら気がついたからです。ずいぶん長くほったらかしにしていました。
弱くなった部分を補修し、荒れ放題の裏庭を直し給湯器を替え、もういちど家に愛情を注ぎこみました。「テナントとして賃貸を借りる気持ち」から「大家として家を貸す気持ち」へ。まだわからないことだらけだけれど、これから住んでくださる方が「ああ、この家いいなあ。ここに住めてよかったなあ」と思ってくれればいいなあと祈りながら今、最後の調整をこつこつやっています。
家も、僕と同じように、ドキドキしているのではないでしょうか。
色んな人が家に立ち入り、家のこと気にかけると、家もにこにこ笑っています。あの僕が住んだ家たちの大家さんも、こんな気持ちだったのでしょうか?
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