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“青の刻(とき)(*1) ”という言葉がある。黄昏の朱金が夜の藍に吸い込まれる直前の、昼と夜が交差する魔法の一刻。日没後の“青の刻”は、心ざわめかせる予感に満ちている。それは街角、通りの向こう側、店の片隅にひたひたと押し寄せ、入り込む。街ごと人を包み、抱き、ほろ酔いにさせ、笑い声をたてさせたり、遠い記憶を蘇らせたりする。 夜明け前の“青の刻”は、天に属する時間だ。頭上高く、広大な舞台で悠々と進行していく、さまざまな濃淡、さまざまな質感の青の宴。この“青の刻”は、その壮大さゆえに人を「自分はなんとちっぽけなんだろう」という気持ちにさせるけれど、それでいて、今日という日がまたはじまることへの希望をも抱かせてくれる。 朝方の“青の刻”を私に教えてくれたのは、愛猫ニャニャムージカ・チャマスカヤだった。夜明け前になると空腹を覚えるらしく、「うるにゃー」と声高らかに私を起こしにかかるのだ。私は抵抗にならない抵抗の言葉を力なくつぶやきながらキッチンに赴き、はむはむと音をたてながら朝食を楽しむ彼女を見守る。 食器を洗い、キッチンの電気を消してダイニングに行くと、南東の方角に開いた窓の向こうでは“青の刻”が静かに広がっている。ベッドに戻っちゃおうかなあ……と思いながらも、毎朝違うその青に魅せられて窓の前に釘づけになってしまう。東の空から太陽の光が射し込んでくると、青はときに紺桔梗(こんききょう)(*2)になったり、ときに薄墨色と明るいオレンジの縞になったり、一瞬にして表情を変えていく。 私はいま、自分がとても好きだ。唐突だけれど、本当のことだからしかたがない。 離婚して再びひとり暮らしになってから、最初は「自分に戻った」と感じたけれど、自分の感覚によく耳を澄ましてみると同じ地点に舞い戻ったのとはちょっと違っていることに気づいた……と、前回書いた。 結婚する前も自分が嫌いだったわけではないし、ひとりで過ごす時間を楽しんでもいた。また結婚していた3年間も、それはそれでとても楽しかった。朝食や夕食をだれかとふたりで一緒に作ったり、食べること。見知らぬ街角をふたりで散策したり、その日にあったことや感じたことを話し合ったり……。 そうしてまたひとりで過ごす時間が増えて、今はそんな毎日がとても幸せだったりする。ふたりの方がいいとか、ひとりの方がいいとか、そういうことじゃない。「ふたりの代わりにひとりが楽しい」のではなくて、「ふたりがあったからこそ、ひとりも楽しい」と言えばよいだろうか。 「ひとりで○○するの、寂しい」という声を、ときどき聞く。確かに、ひとりが辛い状況というものはある。熱く抱擁しあい輪舞する男女に囲まれて、ダンスホールでひとりタンゴを踊ろうとしたら、そりゃー居心地悪いだろう。でも、食事するとか、映画を観るとか、音楽を聴きに行くっていうのは「ひとりで生活する」ことの一部だ。誰かとシェアするのはとても楽しいけれど、「誰かとシェアできなきゃ寂しい」というのは、むしろ寂しい考え方ではないかしら……。 このごろは日本のメディアで「おひとりさま」という言葉をよく聞くようになった。たとえば「女性ひとりでバーでお酒を楽しむ」とか、「ひとりで旅館に泊まってみる」とか、今までは“すごく勇気がある”あるいは“変わっている”と思われていたような行動を軽やかにやってみる女性も増えてきたらしい。私もかねがね「レストランでひとり座っていてサマになる女性」に憧れていたので、ふたたびシングルになって「いい機会だ!」と内面ワクワクしながら近所にごはんを食べに行ったりしている。 そうして、こうも思うのだ。ある意味では、私たちは、そんなに「ひとり」ではないのかもしれない、と。 最近、こんな出会いがあった。
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text & photos / Watanabe Yo design / Takeue Tomoko |
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