更新日:2000年9月25日 RSS


「もしかすると自分では産まない」あなたに
養子という選択


外国人と結婚して、外国に住んでいて、子どもができなかったら――?
今回は、香港人と結婚して、香港で養子を迎えた日本人女性の話をご紹介します。
国際結婚・不妊のハードルを超えて、
国際養子縁組の壁までひらりと越えてしまった真由美さんの話から、
「家族とは何か?」「 血と何か?」を考えてみましょう。

文/川上澄江


第5回
「私は神さまに愛されている」
そう思えた、息子との初めての対面

バイオロジカル・クロックは男性にもある?

  男性にもバイオロジカル・クロックがあるのかな、と高橋真由美さん(現在40歳)は思う。1989年、香港人の黄(ウォン)さん(現在44歳)と結婚してからというもの、ありとあらゆる不妊治療を受けてきた。排卵誘発剤などのホルモン治療、自然療法、人工受精――。かかりつけの医者も3回ほど替えたし、鍼灸・ハーブ・霊気・漢方・カラーセラピー……できるだけの努力はしたという。

  はじめのうちは、真由美さん主導の不妊治療に、夫の黄さんが「おつきあいする」といった調子だった。人工受精に数回失敗した頃、真由美さんが「体外受精をやるなら、肉体的にも、私が35歳になるまでの今しかないよ」とせっついても、煮え切らない態度を見せるばかりだった。

  ところが黄さんが40歳、真由美さんが37歳を過ぎた頃、突然、真由美さん主導の構図は逆転した。黄さんの方が「子どもが欲しい」と口にするようになったのだ。 黄さんの希望で、体外受精にも挑戦した。しかし、胚移植は2回連続で失敗という結果だった。凍結保存した受精卵は6つ残っていたが、長期化した治療に真由美さんが音を上げた。

【胚移植】
女性の卵巣から採取した卵を体外で受精させ、受精卵を一度凍結保存した上で、一度に数個づつを体内に移す手術。
 

産めなくても、育てる選択はできる


  真由美さんは、不妊で悩んでいた当時を、「産めない性を受容できなくて、じたばたしていた時期」と振り返る。

  真由美さんは、それまでも地域の不妊や養子縁組に関する自助グループに顔を出していた。一緒に不妊問題を語り合っていた友人が、次々に養子をもらうのを目の当たりにしているうちに、「産めないかもしれないが、育てるという選択はできるはずだ」と思えるようになっていった。

 「成功率がせいぜい30%というギャンブルのような治療で心身ともにボロボロになるよりは、確実に親になれる養子縁組の方に気持ちが傾いていった」と真由美さんは話す。まして、何らかの事情で養子に出される子どもをもらうのだから、世の中のためにもなる。

 
 

夫婦の受精卵を義姉に移植の例も


  もっとも、真由美さん夫婦の選択を後ろ盾した一因には、香港という土地柄もあったかもしれない。香港は歴史的に国際色の強い街だ。真由美さんの通っていた自助グループには、実子が3人いるのに養子をもらったり、身体障害者の養子を迎えたりする欧米人がたくさんいた。さらには、妻が子宮剄ガンを患ったために、夫婦の受精卵を夫の姉に胚移植して双子に恵まれた、などという話が当たり前のように語られていた。

  最初はそんなおおらかさに驚いていた真由美さんも、次第に当然のことのように受け止められるようになっていた。

  まだ「自分の子ども」にこだわっていた黄さんに、真由美さんは「xxさんが男の子をもらったんだって」「それがまた、すごくかわいいのよ」など、当たり障りのない会話から遠回しに、それでいて根気よく説得を続けた。 ある日気づいたら、黄さんの方が、香港特別行政区政府社会福利署(日本の厚生省にあたる)の説明会への参加を、申し込んでいた。

 
 

初対面では「感激でわあわあ泣きそうに」


  社会福利署の審査では、健康診断、家計状態、家族の疾病履歴など、かなりつっこんだ質問もされる。「自分で妊娠して産めば自動的に親になれるのに、なぜ私たちだけが親の資質をこうも厳しく審査されるのだろう」と思ったこともあった。

  しかし、日本では申請しても待ち時間が長い上、「引きがない」という理由で事実上却下されることが多いのに比べ、香港での需給率はかなり高い。真由美さん夫婦にも申請後1年で、マッチングの話が来た。

  会うまでは期待に混じって、「万が一、かわいいと思えなかったらどうしよう?」、「断ったりしたらひんしゅくかな」などの、不安もあった。しかし、当時生後3ヶ月だった黄蜂(ウォン・フォン)ちゃん(現在1才10ヶ月)に会った瞬間に、そんな不安はすべて吹き飛んでしまった。

 「寝顔のまつ毛がとても長く、あまりの感激にわあわあと声を上げて泣いてしまいそうになった」と真由美さんは振り返る。人目が気になって声こそは上げなかったが、「自分は神様に愛されている」とさえ思ったという。

  黄さんも、初対面で一目惚れ。その日に連れて帰るとダダをこね、ソーシャルワーカーにあきれられたほどだった。2人はその日のうちに、養子縁組みを決めた。

 
 

初めての言葉は日本語? 広東語?


  もちろん、子育ては思っていたほどは楽ではない。寝不足が続き、黄さんに当たり散らすこともある。それでも、蜂ちゃんをもらったことを後悔したことは一度もない。

  養子をもらったというと、「それじゃあ大変だったでしょう?」と言う人がいる。しかし、「養子だから大変、実子だから楽ということは決してない」と真由美さんは断言する。いったん産んだら、もうお腹に返すわけにいかないのと同じように、「子どもの人生を丸ごと全部引き受けてしまったのだから、後には引けない」と。

  もうすぐ2歳になる蜂ちゃんは、最近よくおしゃべりをするようになった。真由美さんは日本語、黄さんが英語、隣に住んでいる蜂ちゃんの祖父母(黄さんの父母)は広東語と、トライリンガルの環境で育っている。

 「まま、まま」と初めてしゃべった時、真由美さんとしては自分のことだと思いたかった。が、上昇音の「まま」は広東語では父方の祖母を示すため、蜂ちゃんが「まま」と言うたび、黄さんが「そうか、おばあちゃんのところに行こう」と息子を連れていってしまうのは閉口した。しかし、そこには、世界中どこにでもある、平和な家庭の風景がある。

 「最近では英語で『マミー』、日本語で『かあたん』と私のことを呼んでくれるようになって」と真由美さんは目を細めている。

 
 

文化的には日本人の血も


 真由美さんには一つだけ不満がある。それは、蜂ちゃんが日本国籍を取れなかったことだ。日本で特別養子縁組制度を利用して日本国籍の子どもを養子にすれば自動的に親の戸籍に入るが、子どもが外国籍であれば、戸籍に追記されるに過ぎない。

  日本領事館では「将来日本に住むことがあれば帰化する道もある」と説明されたが、自分が産んだ子なら自動的に国籍が与えられるのにと思うと、納得がいかない。

 「これだけ国際化が進んでいる中で、今後外国籍の子どもを養子にする人が増えてきてもおかしくない。制度自体があまりにも古すぎる」と真由美さんは言う。

  蜂ちゃんの最初の日本語は、「抱っこ」と「ねんね」。それに好物は納豆という。養子縁組の事実を告知することを決めている真由美さんは、「日本の血は引いていなくても、文化的には日本も受け継いでいるのよ」と言い聞かせていくつもりでいる。
  BACK NUMBER
第7回
今でもそのことを思うと涙が
あふれてくるけれど、今ここに
自分が存在することに感謝している


第6回
今でも覚えている、近所のおばさんの
「お兄ちゃんは元気?」の意味


第5回
不妊治療、夫との摩擦を乗り越えて
最愛の息子と出会った高橋さんの場合


第4回
養子を迎えるまでの
具体的な手続きや制限とは?


第3回
送る側の論理。
埼玉県の産婦人科医の話


第2回
もう施設に返そうか――
迷った末に見つけた愛


第1回
「不妊治療を乗りこえ、2歳の女の子を
迎えた由美さん(仮名)夫婦の場合」


by Sumie Kawakami
illustration / Suge Mika