「もしかすると自分では産まない」あなたに |
子どもを持つひとつの方法である、養子という選択を考えるこの企画。 今回は、自分も兄弟も養子だったというCafeglobeメンバー sweety2さんの ご投稿をご紹介します。留学を試みなければ知らないままだった かもしれない、自分が養子であるという現実。複雑な心情。 その苦しみを乗り越えてポジティブに生きるストーリーをご紹介します。 |
母は渋ってなかなか 母子手帳を見せてくれなかった 今、私はアメリカで勉強をしている。東京の商社で6年働いたのち、28歳でアメリカの大学に入学した。高校の頃からアメリカに留学したかった私は、働きながらかなりの資金を貯めて準備し、反対する両親を2年以上かけて説得し、ようやく留学が実現したのだ。 アメリカの大学に入学するためには、多くの予防接種をしなければならない。中には、私たちが子どもの頃受けた注射も含まれているので、多くの留学生は子どもの頃に何の接種を受けたかを調べるため、母子手帳を確認する。 私も、母に母子手帳を見せてくれるよう頼んだのだが、渋ってなかなか出してくれなかった。大至急必要なんだと頼んでやっと、母は一言「分かった」と自分に言い聞かせるようにして、探してきてくれた。 |
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言ったら嘘になるけれど それは、母にとっては大きな決心だった。母子手帳を手渡された私は、目の前にいる母とは違う名前の書かれた母子手帳を見て、何が起きたのか理解できなかった。母に、「何で違う人の名前が……?」と普通に質問してしまうほど、不意の出来事だった。 母が「この人があなたを産んだ人よ」と、私を抱きしめた。涙が溢れて目の前が見えなくなり、息も出来ないくらい苦しかった。 産みの母が、育ての母と違う。今まで何の疑いもなく、目の前にいる人を「母親」と信じてきた私にとって、このことは言葉では表現できない苦しみだった。私には4歳年上の兄がいるが、彼もまた養子であり、私とも血が繋がっていなかった。 私は両親が大好きだし、尊敬している。ここまで無事に育ててくれたことを本当に感謝している。しかし、私を身ごもって出産した人には、そんな気持ちはない。どんな人かまったく知りたくないと言ったら嘘になるが、私の母は、あなたじゃない。でも、あなたが私を身ごもらなかったら、私はここに居なかったのだと考えると怖くなる。このことを考える時いつも、頭の中が真っ白になる。 |
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日本に帰って遅い親孝行をしたい アメリカに来て、ここに自分が存在することに感謝している。それでも時々、このことを思い出すと、涙があふれて胸が苦しくなる。なぜ、産みの母は私を育ててくれなかったのだろうか? なぜ、私はこうして生きているんだろう? 一生私に付きまとう悩みになるであろう。しかし、これが現実である。私は、このことがあってから、どんな人にも優しく接することが出来るようになった気がする。 ここアメリカでは、白人の女性にアジア人の子どもがいるなど、まったく違う人種の子どもを持つことは、社会的に受け入れられているようだ。また、彼女たちは堂々と「これが私の子どもよ」、と胸を張っている。日本でも早く同じような環境が出来ることを祈っている。 あと2年アメリカで勉強したあとは、日本で遅い親孝行をしたいと思っている。私の今までのライフストーリーは、嘘のような、本当の話。でも、これからのストーリーは自分で作っていかなくちゃだね、お母さん。 メンバーネーム:sweety2さん(米国在住) |
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NUMBER 第7回 今でもそのことを思うと涙が あふれてくるけれど、今ここに 自分が存在することに感謝している 第6回 今でも覚えている、近所のおばさんの 「お兄ちゃんは元気?」の意味 第5回 不妊治療、夫との摩擦を乗り越えて 最愛の息子と出会った高橋さんの場合 第4回 養子を迎えるまでの 具体的な手続きや制限とは? 第3回 送る側の論理。 埼玉県の産婦人科医の話 第2回 もう施設に返そうか―― 迷った末に見つけた愛 第1回 「不妊治療を乗りこえ、2歳の女の子を 迎えた由美さん(仮名)夫婦の場合」 |
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illustration / Suge Mika |
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