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携帯で写真を撮って、メールで送る……みたいにね、短歌。 |
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穂村弘
Homura Hiroshi /歌人 |
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1962年、札幌生まれ。上智大学文学部英文科在学中に短歌と出あい、歌集『シンジケート』でデビュー。一般企業に勤務しながら、歌人としても精力的な活動を続けている。近著に『回転ドアは、順番に』(共著、全日出版刊)、『ラインマーカーズ
The Best of Homura Hiroshi』(小学館刊)、エッセイ集『世界音痴』(小学館刊)など。 |
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手紙のようにやり取りされた短歌、今で言えばメール? |
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なんだか、短歌がじわじわとやって来ている。すごくゆっくりと、けれど着実に(断言)。ワタクシごとで恐縮だが、数年前に詠んでみたりしたこともあった。が、ほどなく脱落。けれど、やっぱり気になる。いっそのこと、続々と意欲作を発表する現代短歌界の鬼才、穂村弘さんにお会いして聞いてみようと思ったのである。「短歌、一体どんな風に書けばいいのですかね?」と。……愚問だとは思っても、だ。 |
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「昔は手紙として短歌をやり取りしていた歴史もあるし。今も短歌をメールでやり取りしたりするんですよ。メールの最後に署名したりするでしょ。イラストのようなものを入れる人もいれば、言葉を入れる人もいるように
」
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淡々と語る穂村弘さんの説明に、早くも納得。文学の1ジャンルとして特別視しすぎていたのかも? 私たちがメールをやり取りするように、昔の日本の人たちは短歌でコミュニケートしてたのね、と考えれば少し身近になってくる。 |
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「今、携帯電話でみんなどんどん写真を撮って、誰かに送ったり、保存したりするじゃないですか。あれの言語版みたいに思えばいいんじゃないかと思うんです。写真を撮っても、別に感情まで写るわけじゃないけれど、感覚とかはビジュアルとして残る。そんな感じで短歌を残すわけです。感覚って時とともに変わっちゃうからね。ずっと書いてるとわかるんですけれど、その感覚の変化って言語にもすごく反映されるんですよ
」
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短歌を詠むことは、「自分というものを定着させておく」ような作業だと穂村さんは言う。そのときどきに感じたことを残しておいて、それがもしかして上手く行けば他人に感動を与えることもできたり……。 |
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何か来たなと思ったらすぐに詠む!
それが生涯最高傑作かも? |
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「北原白秋が90年前に不倫をしてね、監獄に入っちゃったんですけれど。そのときに『君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ』という歌を詠んだ。女が泊まって帰る翌朝に雪が降っていたという内容で、どこにも不倫だって書いてないんだけれども、その背後には恋愛のテンションの高さがすごくあって。90年前のものでも、恋愛の秀歌として残るわけです」
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自己流でも何でも、とにかく、とりあえず残していく。コアになっている感情さえ残っていれば、10年後に発見されて評価されることもある。感情は、そのときに残さなければ持続はしないのだ。そのとき残したものを、10年後に技術的に磨くことはできるかもしれないが、感情自体が残っていないことには成立しないというわけだ。
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「若いときっていろんなことに気が散っていて、自分の可能性も見定められないんだけれど、もしかしたら、そのときに生涯最高の短歌を書ける時期、波が来ているかもしれなくて。そのときにたまたま書くことをしていた人の作品が残る、かもしれないんです。でも、書かなければ絶対に残らないでしょ。石川啄木の『一握の砂』なんて2日で書いてるんだから。で、彼のすべてのジャンルにおける最高傑作で文学史にも残った。けれど、もしも彼がその2日間に書かなければ、残らなかったんだから」
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だから、多少わけがわからなくても、何か来てるなと思ったら書いてみる。わからないなりに、とにかくアウトプットすることが大切だと彼は言う。そして、他人に見せることもとても大切なのだそう。
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30代で詠み始めた彼女が、どんどんキレイになった理由。 |
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「他人は、自分でわからない魅力を見つけてくれたりするから。自分も知らないいいところを誰かにフィードバックされると、すごく素敵になっていくでしょ。女性とか、見る見るうちにキレイになる。逆をすれば、どんどんブスになるし。僕、学生の頃につき合ってた女の子がみんなブスになるってことがあって……大人になって女の人をキレイにする男がいるんだって学んで、すごくショックを受けました(笑)。
このフィードバックによる効果は短歌の世界でももちろんあって。東直子という歌人は、30歳を過ぎてから短歌を始めて、みんなにすごく誉められてみるみる上達していった。で、さらに驚いたことに、どんどんキレイになっていったんです。短歌の才能を誉められて、いい歌を詠んで、さらにキレイになって。所作まで変わってくるんですよね
」 |
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30代になるまで自分の才能に気づかずにいて、急に開花した東さんを、穂村さんはこのとき何と語ったかというと、「見ていて、気持ち悪かったな」。普通ならば絶句モノな発言だけれど、その言語感覚が歌人・穂村弘なのだなと微笑んでしまう。惜しみない賛辞に聞こえるのだから。と同時に、その東さんの素直さもまた作品を形作ってきたのかも?と思いいたる。
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“ベタである”ことから、短歌は始められる! |
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「優れた短歌を詠むためには、“ベタである”ことがすごく大切なんです。羞恥心とかない人がすごく多いですから。僕も根本的にはないですね。モノゴトを相対化してみたり、シャイである人には向かないかもしれませんねえ。極端にベタになっている人の作品がよかったりする。与謝野晶子の『やは肌のあつき血潮にふれも見でさびしからずや道を説く君』とかね。
もちろん、ベタであるだけではダメですよ。短歌に必要なのは心理的なテンションというか、感情のウェーブ。トレーニングして身につける技術よりも、心のテンションの支配率がグンと高い。だから、素人でもいいものをいくらでも書いてしまうときがある。昔から名歌には恋愛の歌や人が亡くなったときに詠む挽歌が多いのもそのせいです。すごく単純なんだけれど、そういうことなんです」
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とはいえ、テンションが低ければ短歌に向かないというわけでもないらしい。「何らかのテンションがあればいいのだ」と穂村さん。
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「低いなら低いなりに、蛇のようであるとか、恐ろしいほどに冷たいとか。それが必要なんです。普通っていうのはダメですよ。普通っていうのは、他人にとっては意味のないことですから。例えば、『彼が振り向いてくれないから悲しい』という内容の歌。問題は、その彼が振り向いてくれたら、この歌はもういらないのか?という点です。いらなくなってしまうような歌は、その人にとってしか意味がないでしょ。振り向いてくれても、このときの寂しさは依然として残る……っていうのが名歌ですよね」
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生々しいのに永遠性がある……そんな不思議な存在、短歌。巧みに詠むことはもちろん簡単ではないだろうけれど。ま、最初は“ベタな”気持ちを切り取ることから、こっそりと始めてみてもいいかもしれない。誰かに伝わるその日のために。
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Photos / Takigushi Satoko
Text/ Matsumoto Noriko(Cafeglobe.com) |
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「容姿とかも微妙に違うんですよ、歌人って。女性だと髪が黒くて毛量が多くてね、目がキラキラしていて恋愛好き、というタイプが多いんです。目をちょっとでもショボショボとさせていると、『あら、目薬あるわよ』って差し出してくれるタイプ、母性的というかね」
ちなみに、ショートカットでクールな感じの人は詩人系なのだそう。 |
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