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 | シナトラのマイウェイを聞いたときに、最初のフレーズで感動したのね。歌って、テクニックだけじゃないんだ。経験なんだって。 |
 | 何か衝撃的なものが降りてきましたか? |
 | 『マイウェイ』を「ラーラー ララララー♪」って鼻歌まじりみたいにさ……最初に聞いたときに彼の人生が見えたような気がして。あの人も波乱万丈、壮絶な人生送ってきたわけじゃないですか。たったワンフレーズにその人の経験とか体験がこんなに出ちゃう、こんなに人を感動させられるんだなって思ったんですよね。歌ってテクニックだけで歌うもんじゃなくて、その人の経験の数や気持ちの豊かさなんかが全部映し出されるんだなぁって衝撃を受けたんです。 |
 | 波瀾万丈という点では、ひろみさんも負けてませんよね(笑)。それと、やがて50代を迎えるにしても、10代から20代、30代、40代といろんな経験されてきたから50代を楽しみに迎えられるんじゃないですか? 歌だってその世代にしか歌えない曲を歌ってきた。その世代を生きてきた僕らにはわかりますよ。 |
 | 『よろしく哀愁』ってのは僕の10代の浅い経験で歌ったもので、30代のバラードはそれなりの経験を持った僕が歌ったバラードで、これから僕が歌っていくバラードっていうのは、やはり50代でしか歌えない経験を活かしたものになればいいし、また60代には60代のバラードがあるでしょうし。 |
 | 『マイウェイ』って簡単に歌える曲じゃないんですね。 |
 | 僕だってシナトラのマイウェイは歌えない。若い人があの歌を歌ってるのを見ても何も伝わってこない。どんなにうまくても、あれは歌のテクニックじゃなくて、『マイウェイ』っていうタイトル自体がそうだと思うんですけど、歌っていうのはそこに行かなきゃいけないのかなって。だから結局はうまく行こうが行くまいが、その人の人生をどれだけしっかり送ってきたかっていう、人と歌が互いを支え合っていないと歌えない曲なんですよ。 |
 | ひろみさんはちゃんと準備をされてますよね。年を重ねるごとに、また新しいときを始めるっていうか、「はい、50代になりました」って世代に区切りをつけていくことは安易なことだけど、そこに向かうために長年準備していて、それを経験として、すごくいいコンディションで楽しみにその瞬間を迎えられるっていうか。自分を作り上げていくっていうのは非常に大変な作業だと思うんだけど、目標に向かってずっと前を向いて歩いてこられた。 |
 | なんていうのかな。やっぱりこう、目標ができたら、それ対して何をしなきゃいけないのか、何をしちゃいけないのかを考えて選択しなくちゃいけないでしょ。それには「自分に足りないものは何だろう?」「何を補わなければいけないんだろう?」って。今まで一度だって、「今の自分のままでいい」と思ったことないしね。 |
 | 特別なものを感じさせる人って、きっといつでもそういう危機感とか緊張感を持ってるんですよ。誰だってそれなりに地位や名声を獲得したら、それまでの自分を認めることをしたがるじゃないですか。知らないうちに周りにはイエスマンばかりで誰も厳しい言葉をかけてくれない。それを、居心地が好いと感じるか、これではダメだと感じるか。 |
 | 小さいボートって舵がすぐに切れるわけだよね。簡単に方向転換できる。ところが大きな船というのは、舵を切り始めてから方向が変わるまでには1マイル2マイルってかかるわけですよ。僕も15、16歳でデビューしてから30数年も経って、気がつけば大きい船になってると思うのね。そこにはレコード会社の人間だ、事務所の人間だってクルーが乗ってるわけですよ。僕はそんな人たちと一緒に航海をしてると思ってるわけ。だから、50代で確かな方向に向かうためにはそのずっと前にかじを切り始めないと、50代からきり始めても方向が定まるまでには2年、3年経ってるわけよ。僕が3年半前にニューヨークに行ったことはそんな決心からだったんです。 |
 | それ以前にも決意は固まってましたよね。 |
 | 98年の秋に「これから3年後にアメリカ行く」ってことを決めてましたね。 |
 | 周りは、「えっなんで?」ってことになりませんでした? |
 | 99年のお正月くらいに小山(マネジャー)と増田(コンサートプロデューサー)のふたりにだけ話をして、彼らは「多分ひろみさんのことだから意思はかわらないだろうな」って思っていたんじゃないでしょうかね。気持ちを固めてから、なぜさらに3年間仕事をしようかって思ったのかというと、自分の気持ちが本物なのか、単なる思いつきなのかを見極めたかったんですよ。3年間気持ちが変わらなければ本物。それと、さっき言ったように多くの人間が働いているから、その人たちの準備も必要だったし。そして98年に『GOLDFINGER'99』に巡り会って、状況が好転していくわけですよね。でも、僕の意思は全く変わらなかった。「ああ、これは自分にとって正しい選択なんだ」と思いました。 |
 | 僕がプロデューサーだったら、絶対あの頃にニュヨークに行かせませんでしたね。『アチチ♪』が大ブレークして新たなファンがいっぱいできて、郷ひろみからHIROMI GOみたいなものが生産されて、HIROMI GOブームみたいなものが巻き起こったじゃないですか。しばらくは安泰だって、誰もが思ってた頃ですよ。 |
 | それだけじゃ自分がイメージしている50代が迎えられるっていう保障はどこにもなかったんですよ。逆にこのままやってたらダメになっていく可能性もあると思えて。ただ、ひとつだけ言えることは、自分で決めたことだから、誰も恨まなくていい。後悔もしなくていいんですよ。でも、これでニューヨークに行かないで50代を迎えて、うまくいかなかったら一生後悔するんじゃないかな、って。何であのときに行かなかったのかなって。この3年間は、日本にいたらまずこれだけの経験はできなかっただろうなっていう確かなものは感じてますね。 |
 | 誰の人生とかにすべて共通しそうな、照らし合わせられることだなと思って聞いてしまいました。 |
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(その3へつづく) |