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独立すれば、教育も自分たちで
一つの国が独立するということは、行政・経済はもちろん、すべてのシステムをその国民が背負っていくということ。何百年以上も他国(ポルトガル→インドネシア→国連)に支配されてきた東ティモールの人々にとって、独立は大きな大きなチャレンジといえるでしょう。
言うまでもなく、国としてのシステムの中でも特に大切なもののひとつが教育です。私の見る限り、東ティモールの人々は学ぶ意欲がとても高い人たちのようです。ただ、現在はそれが充分にいかされているとは言えません。
硬い床の上で勉強する子どもたち
教育のインフラは、数千人とも1万人とも言われる人々が殺された1999年の民兵の暴動事件で、壊滅的な打撃を受けました。ほとんどの学校は破壊され火を放たれ使える状態ではなくなり、インドネシア人教師たちの多くは西ティモールなどに非難したりして、いなくなってしまったのです。
その後、国連やさまざまな支援NGOによって、主な町ではかなりの数の校舎が再建され、机や椅子なども寄付されましたが、地方の村の学校はいまだに椅子も机もないまま。生徒は床に座って授業を受けています。
私が訪ねたロスパロス州リウロの学校では、6クラスに先生が2人しかいなく、午前3クラス午後3クラスに分かれて授業を行い、1クラスは常に自習という状態でした。硬い床の上に長時間座っているのがつらいのか、子どもたちの集中力が続かないことが先生たちの悩みの種だそうです。
占領国の言葉、インドネシア語をどうするか
さらにやっかいなのが、言葉の問題です。東ティモールは独立の際、公用語として最近まで使ってきたインドネシア語ではなく、ポルトガル語と現地語のテトゥン語を選択しました。インドネシア占領前はポルトガルの植民地だったとはいえ、現在ポルトガル語が話せるのは中年以降、それも教育のあるエリートがほとんど。インドネシア語で教育を受けてきた若い世代はポルトガル語はほとんど分かりません。公用語とはいえ、ポルトガル語は国会でたまに話されるか、国外向けにスピーチがなされるときに限られているのです。
日常的な会話はもともとテトゥン語だったので問題はないとして、問題は教育を何語で行うかです。先生たちもポルトガル語は片言程度しか分からない。仕方なく、辛い思い出があるインドネシア時代の教科書を使ってテトゥン語で教えているところが多いようです。
しかし高校・大学レベルになってくると、素朴なテトゥン語では語彙が足りなってきます。インドネシア語を排除している今のルールでは、この時点でポルトガル語に切り替えざるを得ないのですが、これではあまりに不便であると、若い人たちからの反発は大きいです。
何百年も他民族に支配され、今ここで初めて言語を選択しなければならない彼らの困難。植民地化されたことがなく、日本語という言語をあたり前のように日々使っている私たちには、なかなか理解するのは難しいことです。
戦うことしか知らない子どもたち
教育を必要としているのは、子どもに限りません。長く続いた混乱のために教育を受けられなかった人たちや、戦乱で夫を亡くし、教育がないために生活に困っている女性たちがたくさんいるのです。たとえば、「コープ・ハナディン」という団体では、欧米のキリスト教関係のNGOなどの助けを借りて、手に職のない女性の自立を助けています。彼女たちは、ここで学んだスキルを自分の村に持ち帰って他の女性に教えたり、また男手を失った家族の生活を支えたりしています。
次に私が訪ねたのはカトリックの神父さんが校長の「ドン・ボスコ」職業訓練校。68人の学生中、20人が元ゲリラだとのことでした。彼らは30〜35歳。幼い頃からジャングルでゲリラ戦に参加していて、普通教育すらほとんど受けていない人もいるという。校長先生曰く、「戦うことしか知らない子どもたち」なのだそうです。
現在、解放を目指して戦ったゲリラ部隊「ファリンテル」は事実上解散しています。兵士の多くは国連軍に吸収されましたが、中にはもう銃を持ちたくないと普通の生活を望む人も多いそうです。そんな元ゲリラたちがここドン・ボスコのような職業訓練校で建設、電気、木工などの技術を学んで経済的自立をはかっています。
目の前で殺された姉の言葉を胸に
ある元ゲリラの学生は、抵抗運動に入った理由をこう語ってくれました。ある日インドネシア兵がいきなり家に入ってきて、お姉さんをレイプし、殺してしまった。目の前で「このことを忘れないで」と言って息絶えたお姉さんの言葉を胸に、ずっと戦ってきた、と。とつとつと語る彼の表情に乱れは見られません。あまりにも長い間その思いを持ち続けて、それに慣れてしまったのでしょうか。
しかし、校長先生は元ゲリラたちの情緒の不安定さ、トラウマ(精神的外傷)の深さを指摘しています。一般の学生に混ざって生活することで、徐々に普通の市民として生活していくことに慣れ、適応できるようになることを校長先生は望んでいます。私には彼らの目の中に今でも、ゲリラとして戦ってきたプライドと、またそれがゆえの実生活でのもろさが交錯しているように見えました。
第4回(最終回)に続く>>
医療の現場からのリポートをお送りします
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| ロスパロス州リウロ村の学校で。机も椅子もなく、床に座ったままでの勉強だが……(詳細は写真をクリックしてご覧ください) |
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| ディリのドン・ボスコ職業訓練校で建築、電気、木工などを学んでいる元ゲリラの学生…… |
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| マラリアで死ぬ子どもが多いので、紙芝居で…… |
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| 首都ディリにあるコープ・ハナディンでは、夫を亡くした女性や、仕事のない子どもたちを…… |
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| 仕事のない女性や子どもたちによって作られた民芸品を売る小さなお店。…… |
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| 休み時間に遊ぶ子どもたち。このゴム段飛び…… |
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| 女の子たちが外のトイレの前に座って宿題をやっている。トイレとは言っても…… |
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| かに さえ |
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| フォトジャーナリスト。東南アジアを中心にした開発と環境問題のリサーチをロンドンの大学院で修了するも、「アカデミアの閉鎖性と表現の限界に頭にきて」、自由な表現と多くの人に伝えることができる可能性を求めてフォトジャーナリズムに方向転換中。「今のマスメディアの報道姿勢に憤ることも多く、早く自分の方法論とスタイルを確立したいともがいています」。ロンドン在住、普段は雑誌の取材やコーディネイトも手がける。 email:sae_kani@yahoo.co.uk
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