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ジンバブエ、混乱しています |
南アフリカの隣国ジンバブエを訪れた。このジンバブエで27年間も首相・大統領職を独占してきたムガベ大統領に、今、世界中から非難が集中している。
多くの先進国が経済援助を打ち切り、大使館の規模を縮小したりしているが、ムガベ大統領は、「内政干渉だ!」と息巻き、どこ吹く風の様子だ。が、一般国民は物資不足、1700%とも言われるインフレや70%を超える失業率などに苦しんでいる。
ジンバブエとボツワナの国境で眠たげにしている国境警備員。国内情勢は緊迫しているが、どこか、ゆったりとしたのどかな空気が流れているのが、ここアフリカだ。 photo / M Morita
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国際的な孤立、国民困窮…… その原因とは |
ジンバブエがどうして国際的に非難され、またどうしてこれほど国民が困窮しているのか。それは、2000年前後から、白人農場主が所有する農場が、退役軍人等により強制的に占拠されたり、白人農場主が殺害されたりしたことを、ムガベ政権が黙認していることに関係がある。
旧宗主国であった英国も必要であると認めた土地改革。これは、白人農場主からその土地を黒人層に返還する、ということを意味する。土地改革は、封建的な経済格差の大きい社会が、健全な社会の発展をおこなうために必要なものと考えられ、世界各国で行われてきた。日本の戦後に行われた農地改革もその一例だ。しかし、ムガベ政権の場合はそのやり方が強引過ぎる、というのが先進国の批判の根拠のようだ。
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“アフリカの奇跡”と賞賛を受けたことも |
実はムガベ大統領、1980年に英国から独立した時には、当時200万人ほどいた白人を排除する政策を謳ってはいなかった。独立当初は、白人議員の議席も確保され、政府要職や民間企業に勤める白人も独立前と同様に仕事を続けることができた。
その結果、1980年代後半まで順調な経済成長を続け、ムガベ政権はその資金を、基礎教育と医療サービスの充実に充てた。これによりジンバブエは、アフリカ最高の識字率と、低い乳児死亡率を実現。“ジンバブエの奇跡”として国連機関などから多くの称賛を受けた。
しかし、その間にも政府の歳出は膨れ上がり、1991年から、ジンバブエでIMF(国際通貨基金)や世銀の主導により経済調節プログラムが行われた
( 経済調整プログラムについては、cafeglobe.comのこちらの記事もぜひご覧ください>>) 。残念ながら、この経済調整プログラムの結果として、医療や教育の質の低下や公共料金の値上げが起こり、国民の生活はますます苦しくなっていった。そういった国民の不満は、選挙結果として明確に示された。2000年6月の国会議員選挙は、わずか結成後9ヶ月の野党MDC(Movement for Democratic Change)が120議席中57議席を獲得したのである。危機感を持ったムガベ大統領は、この選挙結果を境に、自身の政治スタンスを大きく転換していったようだ。
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肌で感じた、国民の変化 |
筆者は2004年にもジンバブエの首都ハラレを訪れている。ムガベ政権が、反政府活動や反政府メディアを厳しく規制していることもあって、一般の人が旅行者にムガベ政権への批判を口にすることはそうはなかった。
だが、今回は、外国人相手の観光ガイド、街の食堂経営者などから直接ムガベ政権への批判を聞いた。人々の不満がかなりピークに近くなってきていることの表れだろう。
旅行者として今回実感したのは、ジンバブエ経済の混乱ぶり。アフリカの諸国は援助で国の経済が回っている場合が多い。その援助国である西側諸国からそっぽを向かれたことで、波及効果は私たちのような旅行者にも及ぶ。例えば外貨からの両替。
米国ドルをジンバブエドルに銀行で交換すると、2007年3月の時点で、なんと実勢レートの約100分の1になる。つまり、100円が1円になってしまうということだ。あまりに不都合なので、誰も銀行で交換せず、買い物や、レストラン、そして、ホテルでの支払いは、直接ドルなどの外貨で支払う。そのレートは、銀行レートよりはいいが、それでも100円が40円になるレートであり、旅行者にとっては不当に高い金額を払わされることになる。
ビクトリア瀑布の外国人旅行者向けクラフトマーケット。取引は外貨で行わている。筆者も現地レストランで支払いをした際、家族6名の簡単な食事が米国ドルで94ドルだった。やけに高いと思ったが、100ドル紙幣で支払った。そして、おつりの6ドル分として、現地通貨で6万ジンバブエドルを受け取った。翌日、別の現地レストランに行ってほぼ同じ内容の食事を食べたら、おつりでもらったジンバブエドルで十分支払えた。経済が完全に混乱している。 photo / M Morita
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ムガベ大統領とは? |
白人農場主を追い出すなどして経済を混乱させた、アフリカの独裁者として西側諸国が批判しているムカベ大統領。さらに2002年の大統領選挙や、2005年の国会議員選挙における不正疑惑も指摘されており、その結果として英国、EU、米国などの先進国・地域は経済援助を打ち切った。そもそも、ムガベ大統領とはどんな人なのだろう。
ムガベ大統領は、現在83歳で、現職の大統領として第4選期目を迎えている。独立前の白人政権時代には、11年間投獄されたことがある。彼は、投獄中もロンドン大学の通信教育により数種類の学位をとっており、かなりの読書家、勉強家。出獄後『Zimbabwe African National Union(ジンバブエ・アフリカ民族同盟、略名ZANU)』という反政府組織を引率してゲリラ戦を闘い、英国からの独立を勝ち取った。
当初、彼は、西欧的教養も身に付けたアフリカの新しいリーダとして国際社会から喝采を浴びていた。しかし独立後は政敵を蹴散らし、政治的基盤をより強固にするために1988年には独立後初の大統領に就任。軍隊を掌握し、非常事態宣言を発動しうる強い権限を持つ独裁体制をしいている。
ムガベ大統領が表紙になった雑誌『New African 』(2007年5月号)。このインタビューでムガベ大統領は、「アフリカのことはどんなことでも、アフリカ全体で背負うべき」との持論を展開している。 ムガベ大統領は、大方の独裁者のイメージとは違って(!?)美食や酒に耽溺するようなことはなく、毎朝5時に起き自己流のヨガを行い、その後、精力的に政務をこなすそうだ。ガーナ出身の最初の妻を1992年に亡くし、当時の秘書であった現在の妻と再婚した。この妻はジンバブエのイメルダともいわれ、専用機でヨーロッパに豪遊し、ブランド品を買い漁っている。前夫人が、貧しい人への救済政策や教育に熱心だったのと違って、現大統領夫人はすこぶる評判が悪い。
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ワルモノは、ムカベ大統領だけ? |
すでに説明したとおり、ムガベ大統領は、2000年の選挙で野党に過半数を取られそうになり追い込められた。その結果、土地なし農民への機嫌取りと、2002年の大統領選挙での再選を狙って、白人農場を退役軍人たちが強制的占拠することを黙認したのだ。
それに加えて、1980年代半ばに行われた、国軍によるンデベレ族の無差別大量殺戮も許されることではない。さらに、2000年の選挙で猛威を振るった野党「MDC」への暴力行為にも目に余るものがある。これらのすべてを、ムガベ大統領が指揮したかどうかは、いずれ司法の手により審議されるだろう。
しかし、問題はムガベ大統領ひとりで引き起こしているとも言えない。そもそも旧宗主国の英国は、ジンバブエ独立時に合意した「ランカスターハウス条約」で白人農場主の土地を買い取る費用を負担すると約束したにも関わらず、その支払いを実行していない。
ムガベ政権にももちろん問題はある。しかし、アフリカの政治習慣として、同族の重用や政敵への圧力は当然予測できたはずである。英国はこういったことを巧みに理由にして、ジンバブエに対して約束した支払いを果たしていないように思われる。
英国は、EU、米国などとともにジンバブエに経済制裁をしているが、なんら具体的な解決策を提示しているわけではない。ムガベ大統領をさかんに糾弾しているが、ジンバブエ混乱の本当の原因を見つけるためには歴史にさかのぼる必要があるのかもしれない。また、米国、EUなどが一斉に援助を引き上げたジンバブエに、人道的支援が中心とはいえ、日本は年間4億円相当の援助を続けている。日本のみなさんはこういった状況をどう考えるだろうか。
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政府開発援助ODAに関して※このページの「ジンバブウエ」をクリックして国別データブックをご覧ください。