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vol.1 僕のワークショップの原点?僕がワークショップを始めた理由

一般参加者と作品をつくるワークショップを、全国各地で展開している日比野克彦さん。 現在のワークショップの形態につながる制作方法を始めたのは20数年前。 寺山修司追悼公演で、舞台美術と役者を務めたことがきっかけだった。

作品づくりを通して時間と空間を共有

日比野克彦

「それまでは、完成した作品のみを発表して、制作過程は見せるものではないと思っていました。でも、役を演じることで時間と空間を身体表現として体験して、それを観客と共有する素晴らしさを知った。同時に、普段僕がしている制作も時間と身体が不可欠で、その過程は自分の中でとても魅力的な時間だと再確認したんです。すると、出来上がった結果を発表するだけで、美術やものづくりの面白さがホントに伝わっているんだろうか? という疑問が出てきた。それで、ギャラリーをアトリエにして制作風景を公開した。時間・空間と身体も、自分の表現方法としてお客さんに見てもらうことにしたんです」

制作する時間・空間を共有すると、観客との間にコミュニケーションが生まれる。

「リピーターの人に筆を洗う水を換えてもらったり、『ここ押さえといて』ってお願いしたり。そうやって自然と共同制作的なものになり、最初から“誰でも参加できますよ”というスタンスになった。そういう活動に、ここ10年でワークショップという呼び名がついたわけです」

近年、日比野さんの展覧会には必ずワークショップが組み込まれている。

「まずは、僕が制作するプロセスを見て体験してもらうこと自体が、僕の中に流れる時間・空間の表現ですよね。そこに他者が加わることで、他者に流れる時間・空間が重層し、より面白い組み合わせが生まれる可能性がある」

あえて制限を設けない

その空間づくりにおいては、「制限や注文を必要以上に設けないこと」も大切だと話す。

「不特定多数の人間が集まったとき、年齢層が混ざっているといろんなアイデアが出るし、個性も見えやすい。だから、僕がやるワークショップに年齢制限はありません。そして、そこで作業している人の姿を見れば自分のやることがわかるから、指示もしない。注文が多ければ多いほど、表現は制約されてきますから。たとえば、ひとつの作業にみんなが飽きてきたら、参加者の小学生の提案で別の制作を始めることもある。そうやって、自由な発想がどんどん広がっているんです」

取材・文/浜野雪江

プロフィール

日比野克彦(アーティスト)

'58年岐阜市生まれ。東京芸術大学大学院修了。国内外で個展・グループ展を多数開催する他、舞台美術、パブリックアートなど、活動する分野は多岐にわたる。近年は、一般参加者とその地域の特性を生かしたワークショップを各地で行っている。「大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ2003」では「明後日新聞社文化事業部」を設立、'05年は「愛・地球博」に参加、8/6〜9/19には水戸芸術館で「HIBINO EXPO 2005 日比野克彦の一人万博」を開催した。'07年は、金沢、熊本、鹿児島で展覧会を開催。

【展覧会情報】

参加展「200∞年目玉商品」展
2008年1月26日〜3月16日
会場:21_21 DESIGN SIGHT

「HIGO BY HIBINO」日比野克彦展
2007年12月15日〜2008年4月6日
会場:熊本市現代美術館

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日比野さんのキーワード

演劇

最初のきっかけとなった演劇は、'84年に東京・渋谷のパルコスペースパート3(当時)で上演された寺山修司追悼公演のロック・ミュージカル『時代はサーカスの象にのって '84』(寺山修司作、萩原朔美演出)。即興劇の要素を含んだ実験的作品で、15人の出演者が複数の役柄を演じた。舞台美術を担当した日比野さんは俳優としても参加し、『アメリカ』を朗読。
その翌年には、自らが作・演出・主演を兼ねた“舞台美術のための舞台”『HIBINO THEATRO』('95年)を上演した。
『HIBINO THEATRO』
『HIBINO THEATRO』

初期のワークショップ

初期のワークショップには、東京・調布の大映スタジオで行った『ONE DAY ART SHOW』('89年)や、プエブロインディアンのこどもたちとのコラボレーション('94年/東京・ラフォーレミュージアム飯倉)、長野・善光寺の仏像を大胆にデコレートした『きみが描くオリンピックアートプロジェクト』('98年)などがある。
『きみが描くオリンピックアートプロジェクト』
『きみが描くオリンピックアートプロジェクト』

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2.上田信行さん>>

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