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銀座、新涼のころ。ミサキに吹いた風【東京一夜】 #ショートストーリー

銀座、新涼のころ。ミサキに吹いた風【東京一夜】 #ショートストーリー

築地に集まったのは、同期のヒロシが急に辞めると言ったからだった。自分の送別会と称して、会社の同僚たちを、勝手に予約した店に呼び出したのだ。

ほかに誰が来るのかもよくわからないまま顔を出すと、5年前に辞めたかつての同僚・ケイゴがいた。以前と変わらぬ、つるんとした顔。カジュアルでこざっぱりした服装もそのままだ。「ミサキ、隣、いい?」

そう言って、にっこり笑う。まるでついさっきまで、隣のデスクで仕事をしていたかのように。「まったく、奴らしいよね。急に辞めるからって自分で送別会を開いて。そして、明日からベトナムに行くんだって?」とケイゴ。

「そう、何をするか予測がつかない。そこがヒロシの扱いにくいところでもあり、いいところでもあり。でもどうして辞めちゃうんだろう。けっこういい仕事、してたんだけどな」

「いい仕事してても、辞めなくちゃいけない、って思うときが来るんだよ。このままじゃいられない、ってときが」料理は名残の鱧から出会いの松茸へ。日本酒の柔らかい口当たりが心地よい。季節の移ろいを感じる出会いものの美味と酒で、場がほぐれてゆく。

そういえば、ケイゴは、いまいったい何をしているんだろう。あれから一度も連絡をとったことがなかった。話していたら、入社当時、彼のことをちょっとだけ素敵だなと感じていたことを思い出した。もう15年も前のことだけれど。ヒロシが座敷で立ち上がって挨拶をはじめた。辞めていく俺のためにこんなに集まってくれて、って、集めたのはお前だろ、と突っ込まれながらも、ほんのり顔を赤く染めて笑う彼は、なんだか誇らしげに見えた。

私には、こうやって何かを決断したことがあっただろうか。なんとなく煮え切らず、なんとなく満足できない日々を、何も考えないことでやり過ごすうちにいまになってしまったのではないか、とふと考えたけれど、皆の歓声と拍手がその思いをかき消した。店の閉店は早かった。言い出しっぺのヒロシは、もう姿が見当たらない。相変わらず、最後までマイペースな人だ。残っているメンバーはといえば、会社へ戻り仕事の続きをするという人もいれば、明日の朝の子どもの弁当を作らなくちゃいけないから、と言いながら帰宅のために電車へ急ぐ人もいる。みな、それぞれの理由で足早に散ってゆく。かつては同じような若者だった私たちは、いまでは立場も考えることもそれぞれ別々なんだな、と改めて考えた。

大人になるって、なんだろう。ふと、ケイゴにもう少し話を聞いてみたい、と思った。なぜ会社を辞めたのか。それからどうしてきたのか。そしていま、大切に思っているものは何なのか。「俺、銀座駅まで歩くけど」彼と肩を並べて、晴海通りを銀座方面へと歩き出す。私の視線は彼の肩ほどまでしか届かない。あなた、こんなに背が高かったっけ、という言葉を飲み込んだ。

右手に歌舞伎座が見えてくる。通り過ぎて交差点を渡り、しばらく行くと三越、そして和光が見えてくるはずだ。とりとめもない話をするだけで、聞きたいことはまだ何も聞けていない。銀座駅から、同じ電車に乗るのかどうかはわからない。タイムリミットが近づいてくる。銀座四丁目の交差点前で立ち止まる。ミサキはここから電車に乗るの? と多分ケイゴは聞くだろう。

地下に降りれば、地下鉄に乗ってそれぞれの街へ帰るだけだ。そしてまた、いつもと同じ夜が来て、いつもと同じ朝が来て、きっと似たような日々が繰り返されてゆく。それを何とも思っていなかった。いま、この瞬間までは。「もう少し......ケイゴの話を聞きたいんだけど」思い切って、そう言ってみた。真夏より少しだけ涼しくなった風が、さっと吹き抜けていった。

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