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渋谷、小春日和。カオリと社員食堂【東京一夜】 #ショートストーリー

渋谷、小春日和。カオリと社員食堂【東京一夜】 #ショートストーリー

「社員食堂が夜も開いているなんていいわね」とよく言われるけれど、24時間、動いている職場だから仕方ない。地球の裏側はいつだってどこかが朝を迎えているし、この国にも、いつだって目覚めている人がいる。

太陽がどこにあるかなんて関係ないし、ましてや季節さえ...と考えてから、カオリ自身、寒くなってきたから今日はストールを出そう、という風にしか気持ちが動いていないことに気がついた。

秋だなあ、と思う時期がなくなったのはいつごろからなんだろう。半袖で汗をかいていたと思ったら、急にコートを出さなくちゃいけなくなる。でも今日は、ちょっとあったかかったな。こういう日のこと、小春日和っていうんだっけ。 カオリが夜シフトになる場合は、社員食堂でその日1回目の食事をしてから自分のデスクのあるフロアに行くことにしていた。 何かを食べている人たちが、仕事が終わった人なのか、途中の人なのか、これから始める人なのかはわからない。なにしろ社員数の多い会社で、しかも正社員ばかりではなく関連会社やフリーランスの人がいつでも、大勢出入りしている。 「街にいるのとおんなじなのよね」。ここに来る前に通り過ぎてきた渋谷駅前の交差点を思った。どこから来たのか、どこへ行くのかわからない人々が、てんでんばらばらにすれ違う、世界で一番有名な日本の交差点。

雑踏にはたくさんの情報や人が行き交っているけれど、どれも自分には関係なく通り過ぎていくだけだ。

日々、目の前の仕事を追われるようにこなして、何かの実感もないまま年齢だけを重ねて、相変わらず似たような日々を送っている。そんな日々に疑問の持ちようもなかった。 あ、またいる。

カオリは、しばらく前から、食堂でたまに見かける女性が気になっていた。地味な顔立ちで、いつかどこかで一緒に仕事をしていたとしても、きっと記憶にない。

気になるのは、彼女がたまにカオリのほうを見ているからだった。最初は、いま進めている仕事のチームのスタッフかな、と思った。けれど、違う。ふと視線を戻すと、彼女はもうそこにいなくなっている。

誰だったっけ。私が思い出せないだけなのかな。もしそうだとしたら、ごめん。そう考えながら、次第に気持ちはこれから始める仕事のほうに傾いていく。 「ここ、いいですか」 そう言ってカオリの向かいに立ったのは、その女性だった。少し驚いたけれど、「どうぞ」と答えた。 「カオリさん、ですよね。私、ミドリです。覚えていらっしゃるかな......」 聞けば、ずいぶん前のプロジェクトで、大勢のスタッフと仕事をしたときのアシスタントのひとりだった。カオリにとってやり甲斐と充実感のある仕事は、2年間続いたのちに、会社の都合で急に終わりを告げた。

確か、あのときは学生アシスタントしかいなかったはずだ。 「そうなんです、あの後、別の会社に入って、昨年、転職してきました。あこがれの部署には入れなかったけれど、いずれ異動願いが出せるように少しがんばってみようかな、って」 カオリはミドリのことを、正直、覚えていなかったけれど、こうやって声をかけてくれたことはうれしかった。そして、あのころの興奮と希望に満ちた日々を少し、思い出した。なぜか胸がチクリと傷んだ。 「それで、社員食堂で私を見つけて、懐かしく思ってくれたんだね?」

「はい」とミドリ。「少しだけ、話をしてもいいですか?」

「ええ、どうぞ」

「私、昨年、学生時代から付き合っていた人と別れちゃったんです。それまで、ずうっといつも一緒で、休みの日もぜんぶ彼と過ごしていたので、急にできたひとりの時間に戸惑ってしまって」 カオリは表情で先を促す。 「ひとりでいたら何をすればいいんだろう、と、ずっとめそめそしていたんですけれど、あるとき、落ち込み疲れてふと顔を上げてみたら、世界はすごく広いということに気がついたんです。私にはいままで、この世界が見えていなかったんだ! って。

そして、ひとつずつ、世界を自分自身で確かめてみようと思ったんです。それまでは、彼がどう思うか、彼がどう判断するか、としか考えてきていなかったから、何からはじめればいいかということすらわからなかったんですけれど......」

「それがきっかけで転職を?」

「はい。だから、ここでカオリさんを見かけたときは、すごくうれしかった。あのとき、学生アシスタントの私たちに、あなたたちひとりひとりの力を貸してもらわなければ、この仕事は進んでいかないんだよ、って、いつも声をかけてくれていたじゃないですか。

そのことを思い出して、私でもちゃんと何かの役に立つのかもしれない、と考えたんです。カオリさんみたいに、たくさんの人をまとめて、勇気づけながら、何かをつくりあげていくって、とても素敵。私にもできるかな、と。だからひとこと、お礼を言いたかったんです」 お仕事中なのに、長くなってごめんなさい、と席を立とうとするミドリに、カオリは声をかけた。 「ねえ、いま、どの部署にいるの? 今度、もう少しゆっくり話さない?」

今月の季語

【小春日和】冬の気配がはっきりしてくる頃、春に似た穏やかな日和が数日間、続くこと。「小春」は陰暦十月の異称。

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