フランク・シナトラの絶賛と大スターからの愛を受けたジョージ・マイケル #TBT(前編)

フランク・シナトラの絶賛と大スターからの愛を受けたジョージ・マイケル #TBT(前編)

デヴィッド・ボウイ、プリンスーー2016年に去った大物スターのリストに、まさか53歳のジョージ・マイケルが加わるとは。

80年代洋楽ファンには、追い打ちをかけるショッキングなニュースでした。

大御所が認めた歌の才能

死去で知られることになった、驚きのエピソードを紹介します。

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アメリカエンタメ界の超大物、フランク・シナトラがジョージに向けた公開書簡があったのです。

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1990年、スターの地位に疲れはてていた27歳のジョージは、その心中をロサンゼルスタイムス紙のインタビューで吐露。それを読んだシナトラは、新聞社に公開書簡を送りました。しかも掲載当日にですよ。

その内容は、稀有な才能を授かったもの同士として、歌いつづけるようにジョージを叱咤激励したものでした。

シナトラといえば、日本歌謡界なら、美空ひばりと北島三郎を足して二で割らないぐらいの超大物。トップに君臨し続ける彼だからこそ、経験者だからこそ言える、厳しくも愛のある言葉が並んでいました。

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「Letters of Note」の記事では、ジョージの手紙に対する反応には触れられていません。でも、1990年以降も活動を続けたことから、きっと少なからずジョージの心を動かしたはず。なんといっても、シナトラから、彼と同じレベルの歌手と評価されたのですから。

これを知ったら、エルトン・ジョンやポール・マッカートニーら、大物スターとのコラボが絶えなかったことも、ますます納得がゆきます。

ソウルの女王と歌う『愛のおとずれ』

1981年に、ワム!としてデビューしたジョージ。

『ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ』のようなポップスから、バラード『ケアレス・ウィスパー』、ロカビリー調の『フェイス』など、彼のスムーズで、深く伸びやかに響きわたる歌声は35年を彩ってくれました。

ソロになってからは、ジャンルを超えて大物スターとのコラボが目白押し。

1987年の『愛のおとずれ』では、「ソウルの女王」アレサ・フランクリンとデュエット。パワフルで、ほどよくこぶしの効いたふたりのハーモニーが爽快な一曲です。

F・マーキュリーに匹敵する『愛にすべてを』

1991年に亡くなったクイーンのボーカル、フレディ・マーキュリー。1992年に行われたフレディの追悼コンサートで『愛にすべてを』を歌ったのが、ジョージでした。

クイーンの曲はフレディ以外には歌いこなせない、と思っていたファンを驚かせる歌唱力とエモーション。もう、感動以外のなにものでもありません。

このバージョン、聴くたびにゾクゾクしていたけれど、フレディもジョージも逝ってしまったいまでは、悲しさもこみあげてきて、涙目になってしまいます。

ボサノヴァでも美声披露

マイケルの甘い歌声がボサノヴァにもぴったりなのを証明したのが、『デサフィナード』。

『イパネマの娘』を歌い、ボサノヴァの女王と呼ばれているアストラッド・ジルベルトとのデュエット。ここでも、ポップス&ロックの枠を超えた、ジョージの限りない歌の才能を感じずにはいられません。急逝がただただ惜しまれます。

音楽をありがとう

上に挙げたシナトラの手紙は、「毎朝、天賦の才を感謝するべきだ」という言葉ではじまり、最後はこう締めくくられていました。

才能は無駄にしてはいけない。才能を持っている人たち、そう、君には明らかに才能がある(中略)才ある人は、それを受け入れ、抱きしめ、育て、そしてシェアしなければならない。

貸しだされたときと同じように、あっという間に才能が取りあげられてしまわないように。

Letters of Note」より翻訳引用

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そのときがこんなに突然に訪れてしまったのはあまりに悲しいけれど、素晴らしい歌声を、30年以上にわたって世界とシェアしてくれたジョージには、心からありがとうと言いたいのです。

Letters of Note

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