ヒラリー・クリントン氏の回顧録が出版された。発売前からいろいろな宣伝文句を目にしたが、そのひとつに引っ掛かるものを感じた。

「本音を話します」

本当か? これまでの本でクリントン氏が建前を崩したことはなかった。常に小さじで測ったように言葉を選び、さらにその上から消毒薬をかけるかのような慎重さを保っていた。

だがクリントン氏はプライベートではとても親しみやすい人だということは、よく聞く話だ。そして、今の彼女は公の立場を離れている。このことが、今回の本を面白くするのに大いに貢献している。

彼女の戦いは究極の「リーン・イン」

『What Happened』には、いろんな要素がつまっている。選挙後どう気持ちの整理をつけたのかブラック・ユーモアを交えながらの告白、敗北の原因分析、フェミニスト宣言、批判への反撃、そして、政敵やコミー元FBI長官への恨み節。

正直なところ、敗北の原因についての分析に新鮮味はない。メール問題についての弁明に一章を割いてしまっているのも、元弁護士の性(さが)で仕方のないことなのだろう。だがこの本の価値は別のところにある。

トランプ氏を一般投票で上回りながら、アメリカで最も高くて硬いガラスの天井を砕けなかったクリントン氏。女性として初めて、主要政党の候補者としてアメリカの大統領選を戦うことがどういうことであったのかを、この本を読むことで垣間見ることができる。まさしく「リーン・イン」(※)の最たるものだ。

選挙後の虚脱感をどうしのいだか

とにかく2016年のアメリカ政治に起きたことは空前絶後のことだった。渦中にいたクリントン氏はそれをどう見たのか。「丁寧に政策を練って挑んだが、トランプはリアリティ番組のプロ。無責任に人々の憎悪を煽っていた」。

本の最初の2章は少々自虐的でドラマチックだ。就任式では一瞬の間、バリ島にいるという妄想に耽ったという。選挙後しばらくは気晴らしにくだらないテレビ番組を見たり、断捨離やヨガにいそしんだりしたそうだ。昔からの友人は彼女を元気づけるために、下ネタの詩を贈ってよこし、抗不安剤や有能なセラピストを勧める友人も大勢いたという。

強靭さの裏にある、傷つきやすさを伺い知ることのできるエピソードも盛り込まれている。メガネをからかわれたり、足首がないとバカにされたりした中学時代のコンプレクスにも触れられている。

煽動的なパフォーマーらに苦しめられる

女性への偏見が選挙結果に大いに影響したという彼女の見方は賛否両論を呼ぶだろう。人々がクリントン氏を信用できないと感じたのは、単に彼女が女性だったからではない。彼女の夫のビル・クリントン氏もそうした批判を浴びたし、これまでの大統領候補(ミット・ロムニー氏、ジョン・ケリー氏など)も不誠実だと見られていた。

それよりも説得力があるのは、冷静かつ現実的にものごとに対処しようとする自身のスタイルが不利だったという主張だ。議会政治に比べて、大統領選ではアリーナに集まった群衆を熱狂させるショーマンシップが重要になってくる。2016年はそうした人物が大いに大衆を引きつけた。

民主党の大統領候補を選ぶ予備選挙で、実現が難しい夢のような改革を打ち出したバーニー・サンダース上院議員。クリントン氏は彼への苛立ちをこう語っている。「必然的に私は『それは無理よ』と言う学校の先生みたいな役割を演じることになった」。

やはり痛かったメール問題

タイトルから分かる通り、この本では2016年の大統領選で何が起きたのか、クリントン氏の立場から述べられている。要点を書き出すとこうだ。当時FBIを率いていたコミー氏が投票日直前の10月にメール問題の再調査を発表し、事実上これが勝利への道を閉ざしたという。ずっとメディアでくすぶり続けていたこの問題が再び大きく注目され、さらにロシアがそこに付け込み、ソーシャルメディアでフェイクニュースを流した。

さらにクリントン氏は、女性の大統領を望んでいる人がいかに少ないかを2014年の世論調査を引いて説明している。人種差別も要因としてあげられており、移民や有色人種の権利を守る政策が白人貧困層の反感を買ったとしている。また2013年に変更された法律のため、激戦州で投票率が下がったことも影響したという(有権者登録の手続きが複雑になるなど、特にマイノリティーの投票率を押し下げた)。

アメリカは「変化」を求めていた

こうした見方に読者がどの程度納得するかは分からない。別の候補なら選挙人団の票をもっと稼げていたかもしれないし、地方でくすぶる不満をうまくすくい取っていたかもしれない。様々な要素が絡んでいて原因を特定することは難しいが、ひとつだけ確かなのは、歴史的な流れがクリントン氏を阻んだということだ。現職の大統領が再選された場合を覗き、民主党の大統領が2期続いたことは1836年以来一度もないのだ。そして2016年の選挙では、有権者は大きな変化を望んでいた。

逆境にもかかわらず、彼女は一般投票では相手を300万票近くも上回っていた。だが、それだけでは足りなかったのだ。

© 2017 The New York Times News Service
[原文:Hillary Clinton Opens Up About 'What Happened,' With Candor, Defiance and Dark Humor/執筆:Jennifer Senior]
(抄訳:Tom N.)

※「リーン・イン」はFacebookの最高執行責任者(COO)シェリル・サンドバーグ氏が使った言葉で、女性一人ひとりが一歩踏み出せというメッセージ。