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ノーベル文学賞カズオ・イシグロ評/2つのアイデンティティの狭間で [The New York Times]

The New York Times

ノーベル文学賞カズオ・イシグロ評/2つのアイデンティティの狭間で [The New York Times]

日系英国人のカズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞を受賞。ニューヨーク・タイムズがこの受賞結果と、彼の作品をどのように評価しているのかを速報。

インターナショナルな文学界における優良株

1976年、ノーベル文学賞の受賞を知らされて、ソール・ベローは「私のなかの子どもは喜んでいるが、大人のほうは懐疑的だ」とコメントし、のちには「ノーベル文学賞は密かな恥辱と結びついている。今世紀の偉大な作家の幾人もが受賞していないのだ」と語った。

2016年、ボブ・ディランが受賞したときもそうだ。多くの読者のなかの子どもは喜び、大人はその正当性を疑わしいと感じた。とりわけ、ボブ・ディランの受賞講演に学習参考書SparkNotesからの盗用を指摘する声があがったあとでは。

だが、今年の受賞者カズオ・イシグロなら、そんな疑義をはさむ声とは無縁でいられる。日本生まれ英国育ちの作家は、40年近くにわたり文学界の優良株であり、名手として評価され、しかも一般読者の人気も高い。いわば安全な選択だからだ。

日本で出生という意味では1994年の大江健三郎に続く3人目の受賞者となるカズオ・イシグロは、抑制と均衡にたけた巧みな表現者だ。どの作品も前作とは違う趣向や試みによる小説世界を築きつつ、キャリア全体としては驚くほどの一貫性を通すことに成功している。

淡々とした正確な筆致でカズオ・イシグロが描き出す世界は一見明快だ。しかし、その後方にはより大きな地平が潜んでいる。彼の小説の根本にあるのは、隠された物事を見つけだす発見であり、知られざる真実が明らかになる啓示でもある。そして、極めて注意深い観察者にとってさえゆっくりと感じるほどに、その道筋は黙々と進行していく。

端正にして流れるような文体

カズオ・イシグロの最も有名な作品『日の名残り』(1989)は、堅苦しく謹厳な英国執事スティーブンスに沿って物語が展開する。まるでアールグレイの究極の一杯のようなこの小説はブッカー賞を受賞し、アンソニー・ホプキンスとエマ・トンプソン主演の忘れがたい映画にもなっている。

同時に、機知に富み、皮肉っぽく、心の深いところを揺り動かす、きわめて"英国的"な小説を、英国移民の作家が書いたという事実に誰もが注目した。カズオ・イシグロのペンはスティーブンスの語り口を流れるように紡ぎだす。真の執事とは職務を完璧に遂行することの誇りによって成り立っており、いかなるときもプロフェッショナルとしての意識を失わず、何事があろうと決して人前で動じてはならないと自己を規範するスティーブンスは、そのままカズオ・イシグロの小説家としての矜持に重なる。

1989年に作家としての名声を確立したカズオ・イシグロだが、日本を舞台にした最初の2つの小説『遠い山なみの光』(1982)『浮世の画家』(1986)は、すでに書き手として十分な力量を感じさせるものだ。今あらためて読み返したなら、『遠い山なみの光』は冒頭の一文から言葉が豊かに鳴り響き、流麗なトーンが最後まで途切れないことに気がつくはずだ。

日本と英国2つのアイデンティティ

1954年、海洋学者を父に長崎で生まれたカズオ・イシグロは、5歳で家族とともにイングランドにわたった。「もし僕がペンネームを使って書いて、本に載せる著者近影も誰かに身代わりになってもらったら、 "この作家はあの日本人の小説家を思い出させる"なんて言う人はいないよ」と、1990年のインタビューで彼は話している。

このアイデンティティの二重性はカズオ・イシグロに人生における"ズレ"を強く意識させた。そして、彼の描くキャラクターの多くもまた、2つの世界のはざまにさまざまな形でとらわれており、間違った方向へ踏み出した一歩が破滅につながるという感覚をぬぐえない。『わたしを離さないで』(2005)の語り手は、チェスの悪手になぞらえて、自分の犯したミスが取り返しのつかない結果を生むことへの不安を表現している。

ジャンルを超越する作品群

カズオ・イシグロの小説にはアーティストを主人公にしたものがいくつかあるが、彼自身の作品は一つのジャンルや設定の枠で捉えることはできない。『日の名残り』に続く『充たされざる者』(1995)は、名前のないヨーロッパの街を舞台にした高慢な老ピアニストの混沌とした物語だったし、『わたしたちが孤児だったころ』(2000)は戦前の上海租界で育った英国人青年の冒険譚で探偵小説のエレメントがしのばせてある。

しかも、次回作がどんなものになるのか、予測は年を追うごとに難しくなっているようだ。

臓器提供者として子供たちが育てられる反ユートピア的世界を描いたSF風の『わたしを離さないで』を発表して、カズオ・イシグロは再びジャンルを飛び越えた。さらに最新作の『忘れられた巨人』(2015)は中世の騎士伝説のような神話的ファンタジーの色合いを帯びている。

このように趣を異にする作品群だが、これらを一つに繋いでいるのが、カズオ・イシグロの"ボイス"だ。節度を保ちつつも、奇妙な勢いがあり、ジャイロスコープの回転のようなバランスを備えた文体は一貫している。

「ジェーン・オースティンとフランツ・カフカをあわせるとカズオ・イシグロになる。ただし、ほんの少しマルセル・プルーストを足してからかき混ぜること。混ぜすぎはダメ。それで彼の作品ができあがる」とスウェーデン・アカデミーの事務次官、サラ・ダニウス氏は評した。その意味するところは、カズオ・イシグロという魔法のレシピが効力を発揮しないことはまずないというわけだ。

©2017 The New York Times News Service [原文:Kazuo Ishiguro, a Nobel Winner Whose Characters Are Caught Between Worlds/執筆:Dwight Garner](翻訳:十河亜矢子)

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